2014/06/22

レディオヘッズ

◆6月24日(火)の深夜0時頃よりTBSラジオの荻上チキさんの番組「Session-22」に出演します。
テーマは「女装シーンの現在」。
4月にも『遊びつかれた朝に』の関連で磯部涼と番組に出演したんですが、そのときになぜか女装の話をすべりこませたらプロデューサーが関心を持ってくれて、こんどは女装テーマだけでお話することに。
ついにかもめんたる槙尾くんも参戦することになった日本最大規模の女装イベント「プロパガンダ」のことなどを中心に、現在進行形の女装シーンの背景や魅力について紹介できればと思います。
選曲もできるので、また普段ラジオで掛からなそうなあれとかこれとかを流せればと!

◆しかしラジオでしゃべれるのはホントうれしい。正月にニッポン放送でやらせてもらった「ポップカルチャー新年会」とか、やはり昨年、同局でやらせてもらった「誰だ!」とか、ひとつひとつ階段を登っているはずなので、このままいけるところまでいきたいぞェ、と10代のような新鮮な心持ちでいる今日この頃なのです。

◆あ、あと6/24といえば立川吉笑くんの渾身の企画「吉笑ゼミ」の第一回でもあります。もちろんこちらを覗いてからTBSに向かうつもり。

2014/06/20

遊びつかれた朝に



もはやどのタイミングで更新すればいいのかよくわからないこのブログですが、ここで更新せずしてどうする!?(高野拳磁)ってことで、そう、本が出ました。出てます。
遊びつかれた朝に――10年代インディ・ミュージックをめぐる対話』。磯部涼との共著です。まだまだホヤホヤです。

内容については、出版元であるele-kingのページを参照してもらえればと思いますが、自分で書いた本書の「はじめに」もまた過不足なく内容紹介になっているので、以下にそのまま転載しておきます(ちなみに「あとがき」は磯部が担当)。

「インディ・ミュージック」とは、狭義にはメジャー・レーベルの絡んでいない、資本からの独立性の高い(=インディペンデントな)音楽のことを指す。ただ、この本ではことさらにそうした音楽を対象化してみようと試みたわけではなく、私たちが日常的に親しんでいたり、関わりのある音楽について語ってみたら、たまたまその括りが妥当であった、というのが実際のところだ。と同時に、けっして社会のメインストリームに位置するわけではないそれらの音楽を語ることでこそ描き出せる時代の相貌がある、という確信もある。

磯部と初めて出会ったのが2004年だから、今年でちょうど10年になる。「変化」というものは、いつの時代にだって多かれ少なかれあるものだが、YouTubeやSNSをはじめとするインターネット・テクノロジーがインフラ化したことでもたらされたこの10年の変化は、ポピュラー・ミュージックの歴史にとってけっして小さなものではないだろう。インディの世界に目を向けても、アンダーグラウンドなシーンが以前よりも可視化されるようになり、個別の現場レベルでは盛り上がりが加速しているケースも増えている。しかし、それらのシーンの内外を架橋する言葉は、まだインターネット登場前の、雑誌が音楽カルチャーを牽引していた時代に比べて、後退してしまったように思えてならない。雑誌は雑誌で、その多くは生き残りをかけてよりパイの大きく見込めるメインストリームの音楽を扱うことで手一杯だ。もはや、メジャーものはよりメジャーに、マイナーなものはよりマイナーな領域で、と割り切るのもクールな所作かもしれないが、野暮を承知で、あえてそこを攪乱してみたいという誘惑もある。つまりマイナーな場所に宿る力に、より大きな社会的可能性を見てみたいのだ。

この本をつくるにあたって、場所を変えながら四度の長い対談を行った。それぞれ順番に、四つの章に対応している。
本文でも触れることになるが、私たちは2007年、雑誌『Quick Japan』で銀杏BOYZを3号連続で特集するにあたって初めてチームを組んだ。この本の第一章は、まさにその銀杏BOYZの話を扱う。折しも、銀杏は2005年以来、9年ぶりのオリジナル・アルバムを発表。そのアルバム『光のなかに立っていてね』を聴くことで再度確認したのは、この国のインディ・ミュージックを考えるにあたって、まず最初に語らなければならないのはやはりこのバンドだということ。なぜ私たちが銀杏BOYZにこだわるのか。彼らが同時代のカルチャーに与えた影響とは何なのか。そのことについてはまずは語っていく。
第二章は、00年代前半に私が主戦場としていた実話誌界隈や、磯部の関わっていたサウンド・デモなどの話をきっかけに、その両者がクロスするポイントから、アンダーグラウンド・カルチャーと社会の関係を見ていく。さらにこの国に「インディ」という思想がどう根づいていくのか、という見通しをおとなり韓国のインディ・シーンの現状なども意識しながら考えていく。
3・11以降、原発問題や風営法によるクラブの営業規制問題など、ミュージシャンが運動にコミットしたり、何らかのステイトメントを求められる機会が増えている。第三章では、音楽と政治はどのように関係するのか、もしくは関係しないのか。そのことがテーマとなる。
最終章は「シティ・ポップ」という言葉を切り口に、音楽とイメージの関係について考える。「東京」という街の表象、インターネット・ミュージックと都市生活、街と音楽のあり方について話していくことになるだろう。

私は基本的におしゃべり好きで、磯部涼は議論好きだ。そのため、私たちの会話はいつでも終わりの見えぬまま延々と続きがちである。しかし、そうやってさんざんに話をつくし、議論のための建前やら知識やらがすっかり雲散霧消してしまい、自分たちですら何について話をしているのか怪しくなってきた頃、それぞれの人生の手触りのようなものにゴツッとつきあたることがある。そこはおそらくそれまでの議論がすべてがムダになってしまうような波止場で、きっと音楽を楽しんだり、音楽に心底震えたりするときの自分もそんな場所に佇んでいる。
もちろん読者の皆さんをムダ話にまで付き合わせようなんてつもりはさらさらないので安心してほしいのだが、私たちの対話がいつでもあの波止場に転びかねない瞬間を孕んでいるということは記しておきたい。
それでは、さっそくはじめてみよう。

(「はじめに 九龍ジョー」より)

すでにいろんな人が感想など書いてくれててうれしいのですが、とりわけこの方のレビューはほとんど「もうひとつの“遊びつかれた朝”」になっており、迫ってくるものがありました。