2011/10/04

それの表彰不可能性

◆長めの打ち合わせ2本。

まずは午後、某社にて新雑誌(?)の打ち合わせ。
紙のカルチャー誌でいまできることを、いまやるべきことを考える。
12月刊行ってかなりのタイトロープだけど、やるしかないぜよ~。

◆夜、渋谷で「Image.Fukushima」ミーティング。
vol.02の雨宮処凛氏+開沼博氏トーク司会をしたのをきっかけに、実行委員に誘っていただいた。
実行委員には福島の方をはじめ、さまざまな経歴、ポジションの人たちがいて、かなり有意義な話し合いだった。今後もできることを探っていきたい。

これまで「Image.Fukushima」に観客として関わり、思ったのが、映画という形式のアーカイピングの偉大さだ。vol.02ではミハイル・ロンム監督『一年の九日』 と森崎東『生きてるうちが花なのよ 死んだらそれまでよ党宣言』の2本を見たが、よくぞこれらを撮っていたと。
たんに原発イシューということでなく、「映画」というジャンルそのものが土本典昭の『原発切抜帖』のようですらある。

また「Image.Fukushima」の作品群に触れて逆説的に思うのが、“それ”の表彰不可能性のことで(例えば平井玄はトークでランズマン『ショア』に触れていた)。ふと、観劇以来ずっと引きずっている飴屋法水の野外劇「じ め ん」が、その不可能性に対し、剥き出しの肉体と装置であいまみえていたことを想ったりする。