2009/08/29

SPOTTED PRODUCTIONSについて

なんの因果か受験生ばりに英語漬けの毎日。予習復習予習復習。

近過去のことばかり書いているけど、このぐらいの距離感がちょうどよい(ということをTwitterをやって痛感)。
前の日記で触れた前野健太@コクテイルよりちょっとさかのぼり、8月20日はナヲイさんの発行するミニコミ「SPOTTED701」の創刊2周年イベント@阿佐ヶ谷ロフトAだった。
トークあり、寸劇あり、音楽ありといろいろ詰め込みつつ、絶妙なゆるさが心地よかった。あれホント絶妙なんだよなー。いい塩梅ってやつ。「SPOTTED701」というミニコミの感じがまさにそうだもん。

Spo11しかし「SPOTTED701」、もう11号だって。ぼくもたまに原稿を書かせてもらっているが、あの質量をキープしつつ2年で11冊出すミニコミもそうはないと思うよ。

昨年6月、たしか5号が出たあたりの頃、SPOTTED PRODUCTIONS=ナヲイさんについて雑誌に原稿を書いたことがあるので、記念に転載しておきます。

SPOTTED PRODUCTIONSについて
文・九龍ジョー

直井卓俊によるSPOTTED PRODUCTIONSはたったひとりの企画・配給プロダクションだ。
昨年インディーズ映画の枠を超える話題を巻き起こし、いまだ全国各地での上映が続く松江哲明監督『童貞。をプロデュース』を配給したり、すでに第5回を数えるピンク映画の特集上映『R18 LOVE CINEMA SHOWCASE』を開催し、普段ピンク映画を観ないような若い人、とりわけ若い女性たちに映画館に足を運ばせたり。最近はそれらの展開と連動して『Spotted701』なるミニコミも創刊。
とにかく日本映画界の突端でガシガシ動き回っている人、それが直井さんおよびSPOTTED PRODUCTIONSなのである。
なお直井さんとSPOTTED PRODUCTIONSの関係は本人曰く「J・マスシス+ザ・フォグみたいなもの」とのこと。ずばりグランジ世代なのだ。

ぼくもかつて映画イベントを企画し、SPOTTED PRODUCTIONSに協力してもらったことがある。いましろたかしの傑作怪獣漫画『デメキング 完結版』の出版記念イベント。
初めて顔を合わせた中野の喫茶店で、イベントでの上映作品についていまおかしんじ監督版『デメキング』以外のアイデアを持っていなかったぼくに、直井さんが即座に言った。「同時上映は『グエムル』しかないですよ」。『グエムル』なんてムリなんじゃないか? と思いながらも、この人は興行というものが分かっていると直感した。しかも、実際に直井さんは手際よく『グエムル』のフィルムを手配してくれ、イベントは大成功で終えることができた。

直井さんの経歴について、ちょっと触れておこう。
90年代の終わり頃は下北沢のフリーターだった。古本屋「D0RAMA」やロックバーでバイトをして食いつないでいた。松田優作のツアーパンフをD0RAMAで100円で仕入れ、ヤフオクで売ったら12000円になった。映画は普通に好きだった。
2000年、アップリンクに補欠採用で入社。初めて自分で手がけたイベントが「ニッポンエロティックス・フィルム・アーカイブス」。ピンク映画でピンク四天王と呼ばれる監督たち(佐藤寿保、サトウトシキ、瀬々敬久、佐野和宏)の作品を上映した。
「もともとロマンポルノは見ていたんですけど、ピンクは四天王の存在すらよく分かっていなかった。でもイベントに意外にも若い女の子が大勢集まり、列までできたりして、潜在的な観客がいるんだなって思いましたね」(直井)

じつは四天王は「カッコよすぎて」いまいちピンとこなかった直井さんだが、いろいろとピンク映画を観ていくうちに、ひとりの監督にハマってしまった。
監督の名は、いまおかしんじ。
「いまおかさんの初期の『彗星まち』とか『イボイボ』とか『デメキング』、あのへんの作品を観てみたら、日常と非日常が地続きで繋がっていて、しかも出てくる男たちがみんな情けなくて(笑)。さすがに今はもうちょっと冷静に見ているんですけど、当時は完全に心酔していて、観るたびに涙目になってましたね」(直井)
2004年、アップリンクを退社。フリーとなりSPOTTED PRODUCTIONSを起ち上げた今も、いまおかしんじ作品は新作ができるたびに配給を手がけている。いったん「この人なら」と見込んだ監督への惚れ込みようはハンパないのだ。

奇才・井口昇監督とも長いつきあいになる。
「井口作品との出会いは、それまで持っていた価値観をひっくり返されるくらい衝撃的だったんですよ。アップリンク時代に『恋する幼虫』をどうしてもソフト化したくて、ゆうばり(国際ファンタスティック映画祭)まで追っかけましたから。けっきょく権利は他社に行ってしまったんですけど、それがきっかけで過去の作品のソフト化をやらせてもらったりして、それからずっとおつきあいさせてもらっています」(直井)
8月2日より公開される井口監督によるアメリカ資本(!)の復讐アクション映画『片腕マシンガール』も、もちろん配給はSPOTTED PRODUCTIONSである。

とにかくまず「人間に惚れる」こと。プロジェクト主義ではなく、かといって作品至上主義でもない。まず監督の才能に、人柄に、その可能性に惚れ込む。それでいて、プロデューサーとしてきちんと数字を見ることもできるところに直井さんの本領がある。
「自分がどんなに面白いと思っても、一般性というか、広がりがないと思ったらやらないです。といってもほとんど直感なんですけど。ただ、一度やるとなったら、絶対に支え続けます。例えば冨永昌敬監督の『シャーリー・テンプル・ジャポン』のときに情報がほとんど載っていない謎のチラシを作ったんですよ。三角形の壁画みたいなデザインで。ぱっと見、お客さんにやさしくないチラシなんですよ(笑)。でも、シリーズ化するに当たっても、まずそういった遊びをどうやったら続けていけるのかを考えるんです」

その三角デザインの映画『シャーリー・テンプル・ジャポン』を撮った冨永監督はあるイベントで「あとふたりぐらい直井くんがいてくれたら、日本映画界もすいぶん状況がよくなるのに」と発言していた。
日本映画界の状況はともかく、会うたびにいつも思うのは、直井さんの尋常じゃないハードワークっぷりである。とにかく替えのきかない人なのだ。その多岐にわたる活動のとりあえずの現状報告は、そのつどミニコミ「SPOTTED701」最新号で確認することができる。異常な刊行ペースなんだよ、これがまた。

(初出:「Quick Japan」2008年6月号)

そう、原稿を書いたのはちょうど『片腕マシンガール』が公開される前のことだった。その後、映画は大ヒット。
でもって現在は、『片腕マシンガール』の方向性をさらにエクストリームに追求しつつ、一大エンタテイメントに仕立てあげてしまった井口昇監督の最新作『ロボゲイシャ』が近日(10月3日)公開予定である。「ギリギリ・デートに使える映画」というのがウリらしいけど、試写で観たら、「ガンガン・デートに使える映画」だったよ!(まあオイラが「デート」いうてもぜんぜん説得力ないけどな)

同じ歳の直井さんとは、おこがましい話ではあるけれど、会ったときから感ずるところがあった。原稿にもちょろっと書いたけど、心のどこか片隅でいつもこんな音が鳴ってるもんね。

2009/08/28

私の錨鉛とは

◆思いついた断片をツイッターでつぶやいたり(ミクシィはログインすらあまりしなくなった)、人に話したりするうちに、ここを更新する機会を逸してしまう。季節はもう秋のおとずれ。

◆いろんな考えが未整理のまま渦巻いているが、けっきょく一つの問いの周りをぐるぐるしているともいえる。

ちょっと思い出すと、18日にアトリエ春風舎で青年団若手自主企画「昏睡」を観た。
永山智行の戯曲を神里雄大が演出。男と女のふたり芝居。シチュエーションの違う7つの掌篇がシームレスに演じられる。
面白かった。なによりとても感銘を受けた。

むかし五反田団の「ふたりいる景色」の劇評を書いたとき、石川忠司の「誰かと誰かが『ふれあう』ことが世界をはじめて確固たるものとして実在させるのなら、それが世界の基礎だというなら、もっとも根源的な単位、その先にはもう『無』しかない孤独な単位は一ではなく実は二だ」という言葉を孫引きさせてもらった。しかし、この芝居はその先を描く。
「孤独」という感情を押し殺すならば、じつは一人いなくなっても、二人いなくなっても世界はありつづける。たとえ身体が消え去っても世界はありつづける。そもそも私たちがある身体的特徴を持っていまここに存在していることになんて、なんの意味も理由もない。むしろその意味のなさ、理由のなさだけが私たちに残された希望ですらあるのだから。私たちがいなくとも世界はあるが、私たちはたしかにいまここにいる。生きている私。ここにある私。私はどのようにしてここに「ある」のか。
芝居のラスト、意味のなさを全力で生きた/演じきった俳優は、暗闇のなかで<声>となる。そう、私たちは<声>である。<声>として、いまここにある。

アルトーの「器官なき身体」という言葉も頭をかすめつつ、思い出すのはこの日記で書いた平井玄の『ミッキーマウスのプロレタリア宣言』や北里義之が問題とする「声の集団的再編成」のことだ。

上記の日記でいえば、他にも大友良英が指摘するライブハウスのPA問題とか、真木蔵人の発言とか、いま自分のコミットしている音楽や映画や演劇の連中が意識的あるいは無意識的にチャレンジしている試みとまんま繋がっている。
そこには坂口恭平が建築でやろうとしていることなんかももろ関係してくるのだけど、それについてはまた改めて書きたいと思う。

Kokut◆そんなこともあってか、8月22日、高円寺の酒場・コクテイルでのライブで披露された前野健太の新曲「私の怒りとは」が、なんだか特別な響きでもって届いてきた。
とてもいい曲なんだ。日の光に溶けていく山や川や街、それでも溶けない私、いつか会わなくなるかもしれない友だちと今は一緒にビールを飲んでいる、みたいな歌詞の。
この「私の怒りとは」の「怒り」が、ぼくには「錨鉛(いかり)」と聞こえてきた。
私の錨鉛とは――。私の中に深く降ろすもの。私を、私でないなにかにつなぐもの。

なぜなら、上記の日記からさらにてめえの日記にリンクで飛んだら、最首悟のこんな言葉。
自然人は無際限の自由をもっている。自然人の対極は奴隷人である。しかし、奴隷人の奴隷人たるゆえんは、自分を縛るカセが自然のオキテに等しいとみなすことにあるから、その意味では奴隷人もまた無際限の自由をもつことになる。ガレー船に掲げられていたという自由である。
それにくらべると、社会人は大幅に自由を減じている。社会人は共同した生活を選んだヒトのあり様である。自由が減じた原因は共同にある。共同は規模が大きくなるにつれて、あるいは緊急事態の出現によって、協議・指導・指揮・支配が要請されるようになる。どのように理想的な共同でも、自由は目減りしているのである。
(中略)
課題は古くて新しいというべきである。ヒトが共同へ向かったときの、その自発意志、すなわち自由をせばめながら責任観念を発生させた内発的義務とは、何なのであるか、わが身に深く錨鉛(いかり)を降ろすこと。私は、自然人ともいうべきわが子の星子という介助者に恵まれて、その作業を進めて行こうと思う。
(最首悟 『星子が居る』)

◆てめえの日記から、こんどはさらに杉田俊介さんの日記に飛んだら、「シャカイ系の想像力」ときた。どうにも示唆的な連環だ。

◆御殿場にクロープン(閉じ開いている)な空間を現出してみせたフジサンロクフェスで一番衝撃を受けたバンド、表現(hyogen)の動画をYouTubeで見つけた。映像の粗さもあいまってむちゃくちゃかっこいい。



ようこそ灰の田へ!
見ても泣かないで
突き落としたいのは山々だけれど
いかんせん君は
鳥の気がある
いつでも空へ発てるとは癪だ

新しい土地を
もらいに来ただけよ

(SHINTENCHI/表現(hyogen))

2009/08/21

フジサンロクフェス'09

ちょっと経ってしまったけど、いまだその高揚感がつづいているような気がするフジサンロクフェス。ひたすら楽しい2日間だった。

フェスの最中、自分のTwittterでこんなことをつぶやいた。
ここでは音楽をすることと、音楽を聴くことと、音楽について話すことと、踊ることと、飲み語らい、おしゃべりすることが渾然一体となっている。クロープン(閉じ開いている)とは言いえて妙だと思う
「クロープン」(clopen)とは主催の鈴木竜一朗くんがフェスのねらいとしてあげていたキーワード。
その試みはかなり成功していたと思う。

表現(hyogen)の佐藤くんが煮込んだカレーを食べ、おしゃべりをしながら、「キレなかった14才りたーんず」のあのロビーの感じを思い出していた。あれもまさに「クロープン」な場所だった。

偶然似ているんじゃない。
彼らはみな、確実に同じ可能性を共有している。
舞台と客席――私たちは舞台と観客席を捨て、かわりにひとつの場所を置く。どんなものを用いても、仕切ったり、遮ったりしない。(アントナン・アルトー)
出演したミュージシャンたちも紹介しておこう。いずれもすばらしき演奏でした。
ちなみに前日飲みすぎたせいで遅刻し、オープニングの片想いとうたぽすとを見逃しました。無念!!

01hyougen
◆表現(hyogen)

02miwa
◆三輪二郎トリオ

03momo
◆momo椿*

04adachi
◆あだち麗三郎

05inaka
◆いなかやろう

06noda
◆野田薫

07olymposhi
◆尾林星

08hurukawa
◆古川麦

09hatoyama
◆鳩山二郎

10yoshida
◆吉田悠樹

11cero
◆cero

ちゃんとした写真は竜ちゃんのブログ(1日目2日目)にもあがっていますのでぜひ。

しかしやってることと矛盾するようだけど、こんなふうに出演順でミュージシャン名を挙げていくのも野暮ってもので。それぞれバンドや編成に関わりなく、ミュージシャンが自由に、流動的にバックに参加したりしなかったりするのもこのフェスの醍醐味だった。あだちくんやシラフなんかほとんど出ずっぱりだったもんな。

おしゃべりをしたり、身体をゆらしたり、温泉に入ったり、オセロをしたり、湧き水を飲んだり、本当に楽しかった。
フェスも佳境にさしかかった頃、吉田くんの奏でる二胡の幽玄な響きが夕空に溶けていくのを聴きながら、右手に見上げた富士の稜線がとてもきれいだった。
00fuji

2009/08/05

あんなに愉しそうに、力強く鳴りひびいている

ずいぶんたってしまった。ついったーでここでは書けないようなこと延々つぶやいたり、ドラクエしたり、あとちょっと仕事なんかもしてるうちにあっという間に夏まっさかりでびびった。明日の朝からしばらく旅に出てしまうので、その前に思い出せるかぎり書きつけておこうと思う。そう、いろいろライブやなんかにも行っていたので。

◆6月21日、池田亮司展@東京都現代美術館の最終日にすべり込む。パルス・トーンのなかを子どもがハイハイしていた。渋谷に移動し駅前の松屋でライス5人前を仕入れ渋谷O-nestへ。詳細は省くが、雑誌「エクス・ポ」のイベント虹釜太郎さんの兵隊として乱入。磯部涼が会場に「カレーライスの女」(ソニン)を流すなか、佐々木敦さんと西島大介先生にカレーをよそう。やりっぱなしで磯部くんとタクシーで新宿に移動。ここからは『スタジオボイス』(合掌!)8月号の磯部連載に続く……としたいところでもある。新宿ゴールデン街劇場で前野健太ソロライブ。ゴールデン街のヤニっこさと猥雑さをどこか漂わせたステージングがよかった。ミラーボールを回しながら、「天気予報」。歌の途中で舞台袖にはけたら、ステージ上に雪が降った。お見事。雨は雪に変わり、愛は勇気に変わる。

Aadachi◆6月22日、AOYAMA月見ル君想フで、あだち麗三郎、三輪二郎、西宮灰鼠などが出るライブ。仕事が片づかずちょい遅刻でねずみくんの終わりかけから。月をバックにねずみくんなんてこれ以上ないシチュエーションだね。三輪二郎のジャニスカバー「ミー・アンド・三輪二郎」。なんで私と三輪二郎なんだよ。笑ったなあ。トリのあだち麗三郎、すごかった。ステージと客席の段差に腰かけちゃった。大げさかもしれないけど、彼のミュージシャン哲学みたいなものを体現した素晴らしいパフォーマンスだった。マイクもライトも使わず、ライブハウスのポテンシャルを引き上げることに成功していた。

◆6月23日、無力無善寺で恒例の前野健太ライブ。普段はソロだが、この日はデヴィッド・ボウイたちとのバンド仕様。おまけにバンドメンバーのソロ対決あり、と聞いたらこれは駆けつけねばと。30人ほどの会場にまたもや佐々木敦さんと磯部涼。日曜はいやはや、なんて。バンドソロ対決。意外にもみなストレート勝負。POPさんの芸達者ぶりが光っていた。バンドセット、無善寺で聴くのはなんだかもったいないくらい。新曲(「背中のうた」?)がバンドを従えたときの友部正人のようだった。かっこよかった。

◆6月24日、西荻窪あけたの店にて渡辺勝レコ発ライブ。その名も『渡辺勝』と銘うたれたニューアルバムの発売記念。アルバム収録曲の多くがあけたの店で録音されているので、ライブ中も「こんな感じで録ったんだよね」と不思議な味わい。勝さんの孤高な世界はタイムレスというか「ここが勝負」みたいな色気とも無縁で、そこが評価の分かれるところだろう。でも、ぼくはなによりあのエモーショナルな歌声が、ギターの超絶な音色が、大好きなのだ。

◆6月25日、吉祥寺シアターにてミクニヤナイハラプロジェクト「五人姉妹」。昨年のアゴラ劇場での準備公演があまりにもでたらめですばらしく、観る前から胸がしめつけられるような思いで指折り数え待っていた本公演。どこにもたどりつかない時間を、声をからしながら、肉体を酷使しながら、それでも生きていく俳優の身体に素直に打たれた。永遠をいくつ一瞬と数えただろう。宮沢章夫さんとのアフタートークで矢内原さんが、「私が理想としている動きが10だとしたら、それでも俳優は1しかできていない」と断言するのにも感銘を受けた。といってもあの「できてなさ」「ついていけてなさ」はやはり重要で、それを「よし」として進めているのではなく結果としてそうなってしまっているだけというのが潔いし、たんにそうなんだろう。

◆6月27日、横浜にラ・マシンを観に行く。2ステージ観たが、とにかく動き出す瞬間がすべてだと思った。荘厳な儀式のようですばらしい。ゆっくりゆっくりと持ち上げられる足の繊細な動きにゾクゾクした。体感できてよかった。

◆6月28日、日比谷野音にてZAZEN BOYSライブ。開演時間に向けて強くなる雨、という“演出・神”(根本敬)。雨ン中の、ZAZEN BOYS。プログレッシヴなバンドアンサンブルにゆれる3000の雨合羽。「ASOBI」のスペイシーなアレンジに酔いしれる。まったく不思議なバンドだよな。9月に立川志らく師匠とマツリセッションを行うとの重大発表あり。
志らく師匠の、マトモな奴はひとりも出てこない噺「らくだ」を見て、その狂った世界観とそれをアリとする自由な感性に、そしてまた景色を、匂いを、ニンゲンを鮮やかに描き出すワザに、わたしのハートは共振し、ビリビリと震えました。
シビれアがったわたしは師匠に共演を申し込み、セッションを行うことになりました。
このセッションは「ロック音楽×落語」ではなく、あくまで「ZAZEN BOYS×立川志らく」であります。
ZAZEN BOYSの言葉とビートのウナリあげと、志らく落語の言葉とワザのうねりがカラミあい、異常非日常祭空間を作り出せたら、と思います。(向井秀徳)

◆6月30日、前田司郎さんの三島賞受賞記念パーティ。めでたいとしかいいようがない。スーパー演劇集団「むっちりみえっぱり」のメンバーの方々と話せて大感激(話しかけるまでもじもじすること15分かかったが)。本人たちに向かってどれだけあなたたちの公演がすばらしいかを訥々と語るキモいファンになってしまった。でも本当に最高の劇団だと思う。来年1月に別枠公演があるとのこと。いまから楽しみ!

◆7月3日、お恥ずかしい話ですが、私、弾作というバンドでベースを弾いていたことがありまして、この日、3年ぶりぐらいにライブを行いました。吉祥寺のヤングライオンバンド、THEWATTERのレコ発に呼んでいただいたのです。それ以上、語るべき言葉を持ちません。呼んでいただいたことがすべて。あとはなにがどうなろうとベターベター。演奏終わりで抜けだし、阿佐ヶ谷に移動。Tenkoさんのレコ発ライブ@阿佐ヶ谷Next Sundayへ。ちょうど轟渚さんが始まったあたり。いまから山のぼり以外の渚さんをライブで観るのは初めて(なぎ食堂で買った轟渚と夕映えカルテット『いますぐに』はかなり愛聴しているが)。予想していたことではあるけれどすごくよい。『灯ともし頃』の頃の浅川マキっぽい雰囲気もありながら、現在性のある音楽。次にTenkoさんが登場して、あれトリじゃないの、と思ったら、何回かに分けてTenkoさんは登場、ライブ全体が公演のように綿密に構成されているとのこと。さすがあだち麗三郎プロデュース。ceroはホントいいバンドだよなー。普通に売れればいいのに。普通に、なんて言っちゃいけない。ceroにあだちくんやおりんぽしも加わった大編成で「東京」。ぐっときたよ。

◆7月4日、渋谷アップリンクファクトリーにて。前田弘二監督の作品集DVD発売記念イベント。上映作品は「先輩の女」「ラーメン」「ハナムグリ」。大好きな映画監督。ようやく最新作「先輩の女」が観られたのがうれしい。車とか雨とか、いままでありそうでなかった意匠が増えてるのがたまらない。「ラーメン」の妙にアンビエントな感じも好きだなあ。「ハナムグリ」は……お蔵入りするのがなんとなくわかるというか。ちょっとがんばってる(のが見えてしまう)もんなあ。だから監督の判断は正解。高円寺に移動し、無力無善寺にて開催中の日本ロックフェスティバルへ。前野健太とデヴィッド・ボウイたちを観る。名阪ツアーを経て、これ以上なくタイトな演奏。またもや新曲が炸裂していた。思ったよりも出番が長くてよかった。終わってコクテイルでしっぽりやってたら、前日ライブおつかれさまのTenkoさんが現われ、大橋裕之先生なども合流し、終電まで。

◆7月5日、新宿タワーレコードでいなかやろうインストアライブ。ゲストにあだち麗三郎、三輪二郎。これはもう行かなきゃでしょという感じで、ひさしく音楽話をしてなかったやなぎくんも誘う。いやすばらしかった。タワレコジャックというか、タワレコの片隅を完全に彼らの空間に塗り替えていた。三輪二郎もあだちくんももちろんよかったけど、この日のいなかやろうは泣けるぐらいよかった。バンド野郎だよホント。オルタナアコースティックな感じが最高だったよ。

◆7月7日、立川志らく独演会「志らくのピン」@内幸町ホール。「代脈」「疝気の虫」と病気コンボで攻めて、シネマ落語のスピンオフ的傑作「たまや」。マクラで振ったZAZENの野音ライブの話が最高。ロックは「身体で感じるもの」で、落語は「意味を楽しむもの」、どうコラボレーションできるか思案しているとのことが、この日の志らく落語は十二分に「感じるもの」であった。さあ、いよいよ9月のマツリセッションが楽しみだ。

Bmaeno◆7月8日、高円寺稲生座にて渡辺勝VS前野健太(しかしすごいタイトル)ライブ。渡辺勝さんを若い音楽好きにも聴いてもらいたいとの思いの詰まった松倉如子企画。松倉さんの目論見が成功したかどうかは分からないけど、前野健太と渡辺勝による「ぼくの倖せ」には震えてしまった。「東京の空」のピアノ弾き語りバージョンが聴けたのもよかった。

◆7月10日、吉祥寺にてすさまじい飲み会。多くは語らず……。

◆7月12日、浅草花やしきにて都会の迷子さん2周年記念公演「浅草花やしきの迷子さん」。出演は向井秀徳、前野健太、麓健一。ついに前野健太が向井秀徳と同じステージに立つ、というメモリアルなライブになる予定だったが、主催者側の手違いでライブ全体に音量の規制が入り、やや残念な結果に。急遽アコギ一本の構成に変更し、ナンバーガール時代の曲までサービスしてみせた向井秀徳。さすがのプロフェッショナル。前野健太もひさびさの「青い部屋」。そういう日もあるね。いろいろあって打ち上げ、朝まで。カラオケでオムスビ佐藤のエアギターが炸裂。まったく喰えない男だよ。

◆7月13日、渋谷で木村覚さんと前田愛実姐さんと演劇鼎談。第二期「エクス・ポ」の創刊号に載る予定だそうですが、あれをまとめるのは大変そうだ。

◆7月17日、ついにドラクエ9に手を出してしまう。ハイウェイ・トゥ・ヘル。

Dgirl◆7月19日、ガール椿東京来襲記念ライブ@東高円寺UFOクラブ。出演バンドはガール椿、前野健太とDAVID BOWIEたち、やすりよ(安威俊輔+林漁太 from ミックスナッツハウス)、THEWATTER。数日前ライブに対バンとしてお呼ばれしておきながらライブを観るのはこの日が初めてになってしまったTHEWATTER。いやーすばらしかった。一番手でお客さんもパラパラと遠巻きに眺める感じだったのが、徐々に前に前にステージに引き込まれ、バンドもさらに熱気を帯びていくという、つまりは最高のライブだった。「焦ってはーまたー人をー傷つーけーる」沁みるねえ。やすりよの軽やかさと、前野デビの貫禄。広島の隠し球・ガール椿は、そもそも東京に来るきっかけのところに自分も絡んでいたのでドキドキしてたら、本人たちはそれ以上にドキドキしていたみたいで、でも結果としてドキドキする演奏をかましてくれたのでよかった。アンコールでやってくれた「F(フロイト)式もえこ」(ここで試聴できます)、燃えたなー。たいへんだと思うけどまた東京に来てほしいし、広島にも観にいけたら、なんて思っている。

Cohashi◆7月20日、代々木Zher the ZOOにて大橋裕之ロックフェスティバル。出演バンドはニーネ、前野健太、後藤まりこ+岩見継吾(from ミドリ)、シャムキャッツ、drumno、松倉如子、それから特別上映作品として、短編アニメ「山」(原作:大橋裕之、監督:岩井澤健治)。さらにフェスにはフードがつきものというわけで松江哲明監督がカレー屋を出店。その名も「ロマンスカレー」。なにも考えず言ってしまいたい――楽しかった! でも、それだけじゃあんまりのなので、拾った感想をあげておきます。これ(驚愕の映像あり!)とかこれとか。どちらにも触れられていませんが、シャムキャッツの演奏もじつに素晴らしかった。ペイヴメントmeetsはっぴいえんど。伊達じゃないぜ。

◆7月23日、ポレポレ東中野にて松江哲明監督「あんにょん由美香」。試写以来2度目の鑑賞。カメラマン柳田さんのルーズでイイ顔や、通訳・沈さんの妙な色気など、細部を楽しむ。ラスト近く、柳田さんが小さなレフ板を持っているインサートカットが好き。ああいった現場の空気感をきっと林由美香さんも愛していたんじゃないかと、そんなことを思う。トークショーゲストに長澤つぐみと前野健太。いやがうえにも元旦の「ライブテープ」撮影を思い出す。あ、その前に「鴨川」もあったのか。まったくここ1年ぐらいの時間の濃さには驚くしかないよ。

Eadachi◆7月24日、高円寺サンレインレコードにてTenkoさんとあだち麗三郎くんのインストアライブ。10人も入ればいっぱいの店内で、贅沢な催し。サイドマン、MCシラフがこの日も大活躍。あだちくんの絡むライブは場所と音楽がもはや決定的に切り離せないものとしてあって、だから、それがどんな場所でも楽しみにしてしまう自分がいる。そんなマジックの力に乗せられ、あだちくんの演奏を聴きながらカウンターで原稿を書いてみる。こっちゃんが紹介してくれてうれしい。そうそう、「東京の演奏」コンピ、ぼくも個人でディストロやらせてもらっています(すでに3枚売れた!)。1000円です。お声掛けいただければ手売りいたしますのでよろしくお願いします!

◆7月25日、なんとかドラクエ9クリア。魔法戦士/バトルマスター/パラディン/賢者。クリアしてからが本番とすら言われている本作だけど、これにて打ち止め。地図? なんの話ですかって感じ、でいきたい(願望)。なぜならこの日以降、仕事が佳境に突入。

Fmatsukura◆7月30日、仕事の山をなんとか片付けダッシュで吉祥寺。スターパインズカフェにて松倉如子さんのレコ発ライブ。一部の途中から観たが、いやー殺気バリバリのいいライブだった。「ともだち」のバッキングで鳴らした渡辺勝さんのエレクトリックギターの音色がえらくかっこよかった。不協和音ギリギリ。「くだもの」もライブだとあんなに躍動感あるのか。やっぱり松倉さんの根っこはブラックミュージックだよねえ。ミニコミ『SPOTTED701』の最新号に松倉さんについて1ページ書かせてもらっています。でもオイラ、自分のために歌ってもらった曲の名前まちがっちゃってんの。松倉さんに指摘されて気づいた次第。でも、「愛の賛歌」と「アメイジング・グレイス」を記憶違いしていたなんて、それはそれでなかなかのものじゃないか(開きなおり、いくない!)。

と駆け足で書いたので、なにか忘れてるかも。あというまでもないことだけど、ずいぶん飲んで笑って、(心で)泣いたりもしたものだ。まるで「富久」みたい。あとチェーホフばかり読んでいた。
音楽があんなに愉しそうに、力強く鳴りひびいている。
それを聞いていると、つくづく生きていたいと思う!
(チェーホフ「三人姉妹」)