2006/05/31

WHY? ライブ

なんか日記の意味をなさなくなってきてますが、
18日(木)、WHY?ライブ@渋谷o-west

Why0518

談志師匠ばりの「オマ○コー!」でツカミもばっちりヨニさんでした。楽しかった!
あと「さすがWHY?ともなるとかわいい女のコが多いね!」っていうやなぎくんの声がデカくて恥ずかしかった!(やなぎくんごめん)

この日のライブをYouTubeで発見。すごい時代になったね。
京大西部講堂のも。

2006/05/24

『スティーヴィー』

Stevie

16日(火)、映画『スティーヴィー』、アップリンクの公開最終日にすべり込む。
私生児として生まれ、父親の顔を知らず、母親からは虐待を受けて育ったスティーヴィー。かつてスティーヴィー少年の“ビッグブラザー”(児童虐待や不登校などの「リスク」を負った児童のお兄さん・お姉さん役。そういう制度がある)を務めたことのあるジェイムス監督が10年ぶりに彼と再会する。スティーヴィーは24歳となっていた。会わなかった10年間、彼は施設を転々とし、軽犯罪を繰り返すというかなり荒んだ生活を送っていた。ジェイムスはスティーヴィーの10年間の軌跡をドキュメンタリーとして撮ることを思いつく。が、撮影して間もなく、スティーヴィーにとって、そしてジェイムスにとっても大きな局面が訪れる。スティーヴィーが姪の少女への性的虐待の罪で逮捕されてしまうのだ。
事件を境に、ジェイムスは“ドキュメンタリー監督”である自分とかつてのスティーヴィーの“ビッグブラザー”であった自分とのあいだで葛藤しながら、自ら画面に登場することも辞さず、スティーヴィーの生活に積極的に関与していく道を選択する。そうして、スティーヴィーの人生とこじれにこじれてしまった家族の環にカメラを伴いながらわけ入っていく。

映画を観てるあいだ一時保護所で出会った連中の顔が浮かんでは消えた。とりわけスティーヴィーが冗談を飛ばすシーンだ。じつにゴキゲンで、周囲を和やかにさせるスティーヴィーの笑顔。みなそれがつかの間の安息でしかないことを知っている。でもってやっぱりスティーヴィーはまたポカをやってしまう。まるで平穏が続くことを恐れるかのように。だからスティーヴィーのはにかむような笑顔にふれるとたまらなく切ない気持ちになる。
楽しげに三輪カーを走らせるスティーヴィー、ダチと釣りに出かけて大雨に降られてしまうスティーヴィー。そんなシーンに監督は青春映画風のロックミュージックを流してみせる。そう、ジェイムス監督もたまらない気持ちでいっぱいだったのだろう。

スティーヴィーには帰る「家」がない、いわば"ホーム"レスである。生まれてこのかた父親に会ったことはなく(叔母はそのことで母親を非難する)、母親からは「生まれてくるべきではなかった」というプレッシャーを与え続けられた。無条件に“ホッ”とできる場所、自らの“生"が肯定される場所を持てなかった。それが「つらいこと」だと認識することすらできない幼少期のことである。
その後、スティーヴィーの“生”を丸ごと受け止めてくる大人たちもいた。ある養護施設の園長夫婦。だが園長が牧師になるため施設は閉鎖され、スティーヴィーはまた「家」を失ってしまう。おまけに新たな養護施設では年上の児童たちから性的虐待まで受けてしまう。

怒りと悲しみでパンパンにふくらんだスティーヴィー。たとえば、「スネーク」とあだ名がつくほどのヘビ獲り名人であるスティーヴィーをより深く自然とコンタクトできるようにいざなえるオッサンが、あるいはボン・ジョヴィなどハードロックを愛するスティーヴィーにギターを教えることができるアンチャンがいたらと夢想する。そんなささいなツールでも自分の怒りや悲しみにアクセスすることができるのだと、けっして暴力や犯罪だけじゃないんだと気づかせてやることができる大人がいたら……。
アメリカの児童虐待の背景には貧困層の問題があるという。だがそこには所得だけでははかれない「貧しさ」が横たわっている。ここ日本でも。

ジェイムス監督はスティーヴィーの軌跡を映画にすることについて最後まで悩み続ける。
映画の終わり近く、スティーヴィーの恋人であり知的ハンディキャップのあるトーニャはジェイムスに、「あなたがこの映画をつくったのは良いことだとおもう」と言う。彼女の言葉はジェイムスやスタッフたちに一種の安堵や免罪をもたらしはするが、それでも葛藤や疑念を完全に晴らすことはできないだろう。
スティーヴィーはいま刑務所の中で服役中である。映画パンフレットに掲載されたディスカッションの中でジェイムスはこう言っている。
彼の状況が果たして改善するかどうか、それは私にも分かりません。しかし私は、諦めてはいけないと思うのです。私の考えが素朴すぎるのかもしれませんが、彼のためにそこにいる、見届けるということが大事なんだと思っています。
そうして映画と現実は地続きになっていく。
映画がスティーヴィーの将来にどのような影響を与えるかそれは分からない。でもこれからもあなたのためにここにいる。あなたを見届ける。ジェイムスはどこまでもスティーヴィーの「隣人」であろうとする。

〈野宿者襲撃〉論』のなかで生田武志は、キルケゴールが「瞬間」「現在」と呼ぶものを空間に置きかえることで「隣接性」という概念を導きだす。
「それはイエス自身によって『キリスト教の中心概念として』2000年前にすでに語られていたのではないだろうか」「路上で、半裸で、血を流して倒れている、敵対する共同体人への行動、つまり『善きサマリア人の譬え』で言う『隣人愛』として」と書く。
そして「隣接性」とは従来の共同体に「運命をはらんだ葛藤」をもたらすものであるとも。つまりここで言う「隣人愛」とは従来の共同体とはちがったかたちの「社会」を浮かび上がらせる契機になりうるのではないか、と。
このへんは『野宿者襲撃論』について書くときに改めて言及しようと思うが(なんどもゆってるけどホントに書くんだから!)、ひとまずジェイムスの言葉にふれるとき、思い起こされるのはこんな一節だ――。
ここでは、「隣人」は「私の隣人は誰か」という問いによっては答えられない。むしろ、「私」が「誰がその人の隣人になったか」という問いへの「答え」としてその都度見いだされるのである。
(生田武志 『〈野宿者襲撃〉論』)
難しく考える必要はない。ジェイムスがスティーヴィーに伝えている。
「あなたのためにここにいる」

2006/05/23

CLOSE YOUR EYES

日曜日、FC東京サポーターの人たちがやってるフットサルにまぜてもらう。FC東京には以前「梅山」という名の選手がいたそうで、当然のごとく、ぼくはその梅山選手のあだ名を頂戴したのでした。ウメッティ。マリメッコの相方みたいでかわいいでしょ。

傑作の誉れ高い『マッスル9(←音でます)』のDVD観て、またまた長渕剛「CLOSE YOUR EYES」の素晴らしさを再確認してしまった(去年の暮れはキャバクラで『男たちの大和』モノマネばっかやってたウメッティ)。あーカラオケで深く高らかに唄いあげてえ! というわけで平日デイタイム吉祥寺駅周辺でカラオケ行ける人募集します。この中からやりたい役を選んで明記のうえ、メールください。

『20世紀少年』と『デスノート』が最終回を迎え、ヤンマガで『天然華汁さやか』(ここで第1話が読めます!)が始まった5月の前半くらいに観たのものメモ。

◆5月5日(金) 快楽亭ブラック「5月5日、5席で500円の会」
DVDも書籍も売り上げ好調、昨年からの厄災続きもようやく落ち着きをみせるかと思い始めた矢先、こんどはなんと左脚が疲労骨折(?)だって。まったく神はどこまでこの男に試練を与えれば気が済むのだろうか。しかしさすがというか、イスに座り(正座ができない……)ながらもそんなコンディションをまったく感じさせない大熱演5席。500円ですよ。それが1席目からいきなり芸術祭優秀賞の大ネタ『英國密航』だもん。快楽亭ブラックSAID「こういう時こそ大ネタを演る方のが粋なんですよ」。シビレます!
あと、ここの3月26日の日記がすごい。佐藤真×快楽亭ブラック×森達也という極私的夢のコラボレーションが実現しています! 放送みてたけど気づかなかったなあ。

Yokohamamery◆夜は新宿テアトルで『ヨコハマメリー』。いまはもういないメリーさんの存在を通じてヨコハマ(not横浜)という都市のファンタスマゴリーを浮かびあがらせるドキュメンタリー。あえて個人史に深入りしない(メリーさんにも)という禁欲的な方法論をとっているのはわかるんだけど、やはりどうしてもメリーさんの記憶やノスタルジーの表面をさらうだけになってしまっている感が。でも晩年のメリーさんに寄添ったゲイボーイ・元次郎さんの歌う「マイウェイ」や最後に一瞬“かつてメリーさんだった”女性が映りこむシーンはさすがに強度があった。すごくうまくつくられてる。

上映前には監督と平岡正明のトークショーもあった。たった15分、しかもそのほとんどを平岡正明がしゃべって終わったんだけど、まるまる映画『ヨコハマメリー』1本に匹敵するくらいのスリリングな内容だった。
メリーさん誕生(後にメリーさんと呼ばれる「パンパン」の女性が白塗りを始める)の謎について、平岡はまず1983年に起きた少年たちによる野宿者襲撃殺人事件に震撼する横浜に、白塗りのメリーさんが登場するイメージを提出してみせる。ほどなくしてはじめて平岡が生のメリーさんを目の当たりにしたときの印象は、白塗りのメイクも、腰の曲げ方も、「あえて」実際の年齢よりも20は年老いたようにみせているようだったという。それはおそらく襲撃事件の続く横浜で、女性野宿者として生きるための自己防衛の意味もあったんじゃないだろうか、暗黒舞踏のようなメリーさんの鮮烈なイメージも、社会の影の具象化として偶然あらわれたものというよりは、やはりメリーさん自身が暗黒舞踏からかなり直接的な影響を受けており参照するカタチで身にまとったイメージではなかったか、と推理してみせる。たとえその推測が事実でなかったとしても自分にとってかなり示唆に富む話だった。
さらに平岡はメリーさん米軍スパイ説までぶちあげるんだけど、そっちは正直よくわかりませんでした。なんせたった15分だもので。

Missitsu_1◆8日(月) 劇団、本谷有希子(アウェー)「密室彼女
本谷有希子、初めて観たって友達に言ったら、その人と一緒に観にいった「1989」に出てたじゃん、だって。気づかなかったなあ。そんなんばっかだ。
今回は本谷さんは出てないんだけど、『亀虫』の人が出てた。ミステリー風ウェルメイド芝居。楽しみました。ただ、この感じって……、え、つかこうへい? みたいな(悪い意味じゃなくて)。時間が遡行する密室劇で、記憶喪失とか、意識が干渉しあって「私」が揺らいでしまうとか……。今回はアウェー公演なので、こんどは本公演も観たいな。

◆11日(木) 無機王「僕の腕枕、君の蟹ばさみ。」
アフタートークで話に出たマーク義理人情(役者のひとが今回の芝居に客演してた)という劇団がおもしろそうだった。

2006/05/21

マジカル五反田団

wonderland」という劇評サイトで前田司郎さん(五反田団)のインタビューをやらせてもらいました。ぜひ覗いてやってください。五反田団は5月25日から京都公演(「ふたりいる景色」改訂版)があるみたいなので関西の方はぜひ!

前田さんの話でおもしろかったのは「無意識」とか「おしっこ」とかを手がかりにやっぱり「性」や「死」や「自他」のことなんかを延々考えてるってことで、その先に浮かび上がってくるのは意外にもプリミティヴな「共同性」のようなものの気がする。だからこのひとも書いているように前田さんの書く作品はたしかに一見「セカイ系」的な構造をもってたりするんだけど(ちなみに『群像』の創作合評のなかで小説『恋愛の解体と北区の滅亡』について仲俣暁生さんも「セカイ系」と評していた)、小説ならともかく、五反田団の芝居についてはそれを「セカイ系」という解釈で片づけてしまうことはできないだろう。

いち観客として五反田団の芝居を観ることはかなりマジカルな体験だ。引き出されるイメージのうねりのなかで、自分の無意識のへりに触れるような瞬間がある。プリミティヴな演劇体験。あえて大げさな表現をすれば、フロイト以前の時代に、オイディプス王が持っていたインパクトに近いものがあるのかもしれない。とはいっても登場するのは部屋んなかでゴロゴロする神様とかなんだけど。でもって、やっぱり最終的にそこには思いもよらぬ「共同性」が立ちのぼてくるんじゃないかと思うのだ。

うわっ、けっきょく『<野宿者襲撃>論』についてアップできなかった……。というか、これも、昨日のもぜんぶ『<野宿者襲撃>論』につながっていきます。まだまだ続きます。

2006/05/20

竜のあたまがトカゲに化けるまで~90年代のモニュメント【補足メモ】

数時間後のこのトークショーの前に『<野宿者襲撃>論』について書いておきたいと思ってるのですが、この日記を放置したままなのがずっと気になっているので、ただのメモでしかありませんが、そっちを先に書きつけておきます。ホントいきあたりばったりですみません……。

竜のあたまがトカゲに化けるまで~90年代のモニュメント
【補足メモ】

「怒りや悲しみ」の深さ
●手っ取り早く身近にいるやつへの「怒りと悲しみ」→両親への「怒りと悲しみ」→自分の「生」に対する「怒りと悲しみ」。
●その裏返しとしての「死」。
●舞台中央に設置された井戸、垂直性

「怒りや悲しみ」を表出させるツールを手に入れる、いわば壺のフタを突き刺すストローのような
●芸術、暴力、笑い……。
●ガンダムを乗りこなすこと。エヴァを操縦してみせること。トカゲをつかって蝸牛にアクセスすること。
●ポケモン――当時、一時保護所でもっとも子どもたちをとらえていたツール。中沢新一『ポケットの中の野生』。
●松本人志の笑い、北野武の映画、立川談志のイリュージョン。「死」のニオイ。
●松ちゃんの笑いに救われる人口。ほとんど社会的なカウンセリング効果すら。意識のへりにあるヤバイ感覚。
●酒鬼薔薇聖斗。おばあちゃんの「死」。奇怪なオブジェ。震災。
●寄宿舎のリーダーの名前「ノブオ」から連想される『ドラゴンヘッド』ノブオ。いじめられっ子が産み出す奇怪な宗教。

表出のあとにくる「ま、いっか」の感覚
●「怒りと悲しみ」
●沖縄ブーム

けっきょく逃げるしかない
●トレインスポッティング
●エヴァ
●「人生ってなに?」
●90年代のモニュメント

2006/05/09

マッスルハウス2

Musclehouse02というわけで昨日に続きマッスルハウス2についてなのだけど、とりあえず詳細はスポナビDDT観戦記をぜひ参考に。

マッスルは毎回、2部構成になってて、上のレポにもあるように、この日は前半がマンモス半田のドッキリ、後半が仮装大賞の得点マシンに挑戦といった構成。どちらも仕掛けとしての面白さもさることながら、しっかりプロレスというジャンルの批評になってるのが素晴らしい。批評、なんてゆった瞬間にこぼれ落ちてしまう楽しさを拾い集めながら。

酔っぱらい客を装った仕掛け人・五味のヤジ(「LLPW」コール)に一部の飲み込みの悪い観客が乗ってしまいかけたとき、どこからともなく沸き起こった「カエレ」コール。前半でもっとも背筋がゾクゾクした瞬間だった。あらかじめ観客は、五味が「酔っぱらった客」を演じることを知っている。LLPWコールをすることも。だから観客である我々も「プロレスの観客」を演じなければならないのである。演出家・鶴見亜門から与えられた指示は「西側の客はマンモスを応援、東側の客は仕掛人を応援、南側は空気読んで両方応援」というだけのもの。でもプロレスファンにとって、見当ちがいな行為で試合をぶちこわす輩に対するスマートな対応が「カエレ」コールであることは、TPG(たけしプロレス軍団)のいにしえより論を待たない。それまでもドッキリ仕掛け人として「らしい」声援を送っていた観客1100人だけど、あの「カエレ」コールで完全にノッた。プロレスの勝敗は決まっている。そんなこたァ知っている。でもこのドッキリはガチなのだ。グレーな部分も残しつつ、たぶん、きっと、かぎりなく、ガチなのだ。しかも、そのガチの勝敗が「観客」である我々の手にも一部ゆだねられているというスリリング! こんなに強度のあるプロレス観戦体験、いまどきなかなか味わえるものじゃないだろう。

後半の、意志を持ってしまった仮装大賞得点機との闘いもすごかった。いわば観客満足度システムの可視化。高得点を獲得するためにリング上のレスラー達は敵・味方関係なく話合いながら高度な技の攻防を繰り出し得点機に挑むようになる。もちろんマッスル坂井が得意技・マッスルロックを繰り出すたびに1点づつ減点、みたいな小ネタもしっかり織り交ぜながら。そして、そんなクスグリに笑いつつ再確認させられてしまうのだ。そう、プロレスとは対戦相手同士が協力しあいながら紡ぎあげる「格闘芸術」にほかならないと。だから我々は、パワーボムでウンコを漏らした(コアなプロレスファンなら田●選手のことを想起したかもしれない)メガネがバルコニーからダイブ(もちろんスローモーション&BGMつき)するのを目の当たりにしながら、まさに一つの「格闘芸術作品」完成の瞬間に立ち会い、その「底が丸見えの底なし沼」の途方もなさに惚けた表情で歓喜の声をあげるしかないのだ。なんて気持ちがいいんだろう。

前半と後半のあいだに組まれたアントーニオ本多とディック東郷(フランチェスコ・トーゴー名義)の試合もよかった。感動するあまりその後の段取りを忘れてしまったマッスル坂井に、「たしかお前はいまの試合に感動して、なにか決意するんじゃなかったか?」とフォローする鶴見亜門も含めて最高だった。アントーニオ本多から大スター・東郷さんへの手紙。そこに綴られた、しがない劇団員でしかない自分をプロレスラーだと認めてくれ、いつも稽古をつけてくれる東郷さんへのあふれる想い。それはマッスルのプロレスに対する愛でもある。その愛があるからこそ、たとえば一流レスラーである東郷もサスケもマッスルのリングに上がることに躊躇がない。

マッスル坂井は「人生、どこまでいってもロープに囲まれている」と言う。釈迦の掌で踊る孫悟空のように、どこまでいってもそこはリングだと。だからマッスルについて考えるとき、すでに仏となった偉大な16文の言葉を思い出すのもいいかもしれない。それはこんな言葉だ――「リング上で起こったことは、すべてプロレスである」。

2006/05/08

プロレスの向こう側で演劇と出会う

Muscle

連休真っただ中の木曜、後楽園ホールで観戦したマッスルハウス2。文句なく素晴らしかった!

プロレスと演劇の近親性について考える。いうまでもなく、「演じる」という演劇的要素はプロレスの最も重要なエレメントである。それまでどこか「もさったい」レスラーだったアントニオ猪木が当時妻だった女優・倍賞美津子のアドバイスによって目線までコントロールできる超一流レスラーへと脱皮したのはよく知られた話だし、そのアントンとミッコが新宿伊勢丹前でタイガー・ジェット・シンに襲われた事件にたとえば寺山修司の市街劇の影を見ることも可能だ。

ただマッスルにおける演劇的要素はそういう従来のプロレスにおける「演じる」とはあきらかに一線を画す。レスラーの魅せ方、試合の展開だけでなく、興行そのものが「演劇あたま」とでもいうべき発想力で充ち満ちている。いってみれば、壮大なスケールで過剰に「演じ」られるWWEやハッスルが劇団四季なら、マッスルはシベ少やむっちりみえっぱりである。同じ演劇的なプロレスでも両者にはそれぐらいの違いがある。

マッスルの「演劇あたま」の最たるものがスローモーション演出だ。試合がクライマックスに近づくとおもむろに音楽が流れだし、選手の動きがスローモーションになる。たしかにか超一流レスラーのカウント2.9の攻防が、観客の目にはまるでスローモーションのように映ってしまうということはある。でもマッスルでは実際に選手がゆっくりと動く! この方法なら、一流レスラーでもなくても一瞬の間に複雑な攻防や様々な感情を込めることが可能となる。そう、マッスルには「泣いて馬謖を斬る」(趙雲子龍がパートナーの馬謖を刀で斬ると、馬謖が死体となって相手に覆い被さりフォールする)なんていうスローモーション向きの必殺技まである。

本場アメリカでエンターテイメントを学んだ「天才演出家」鶴見亜門(宮本亜門風の出で立ちに鶴見五郎のアフロ。中の人は某有名劇団の役者)の存在も大きい。「演出家」といってもあくまでキャラクター上のことであるが、それにしても「演出家」がレスラーに「台本」を演じさせるという設定をリングに乗っけてしまうのは画期的すぎる。いまとなってはそれを自然に受け入れちゃってる自分たちに対しても感慨深いものがあるわけだが、なによりこの鶴見亜門、たまらなく魅力的な男なのだ。彼が、あるときは新社長・サイモン鶴見として、またあるときは『週刊リング』編集長・ターザン鶴見として繰り出す従来のプロレス団体への本質を突いた批判&斬新な提言の数々は、とにかくシビレる。

曰く、プロレスの興行は長すぎる、ムダが多い。実際にサイモン鶴見は興行のスリム化(1つのリングで4試合同時に行うとか)を徹底することでわずか40分の間に3興行を行うことに成功する。曰く、プロレス雑誌のショボさはなんだと。ピントはずれなレスラーのグラビア、いつまでたっても核心に触れないマンガ。団体側も面白くない試合を面白いと書かせるぐらいならいっそマッチメークもマスコミにやらせればいいじゃないかってことで、ターザン鶴見編集長は校了スケジュールの都合にあわせ、メインイベントを第一試合にもってくることを要求する。その試合中、グレート・サスケが失神してしまうと「表紙は『サスケ死す!』で決まりですよォォ」とひとり炎上。無事サスケが意識を取り戻すと、なんと拳銃でサスケを射殺してしまう。まったくもってメチャクチャ。だけどゲラゲラ笑いながらもうなずいてしまうのである。誰もが思っているプロレスの問題点にクローズアップする、その鮮やかな手つきに。

他にも、マッスルでは、
●試合がしゃべり場。テーマは「プロレスに上下関係は必要なの?」
●敗者が全員死亡。勝敗の書かれた台本がなんとデスノートだった!
●観客の前には控え室があり、試合はモニター中継(途中からあきらかに別人)
●鶴見亜門が画期的なチケット販売システム(マルチ商法)を提唱。その名も「Amonway(アモンウェイ)」
●トーナメント戦の試合を会場ビル全体(ゲーセン、カラオケ、ボーリング場、しゃぶしゃぶ屋)を使って敢行
などといった「演劇あたま」ビンビンの演出が毎回、繰り広げられている。

マッスルの代表であるマッスル坂井は、マッスルの脚本で岸田戯曲賞を獲るのが夢だという。再演性がなく、そのぶん「聖なる一回性」が宿るのがプロレスであるということを考えれば戯曲としての評価は難しいところではあるけれど、「プロレスの脚本で岸田賞を」っていう、そういう意識のあり方に触れるだけでたまらなくワクワクしてくる。

マッスルハウス2について書こうと思ったのに前置きが長くなってしまった。とにかく最高だったマッスル・ハウス2についてはまた明日

2006/05/04

ノーサンキューノーサンキュー

ブログを読んでくださってる方から「大丈夫ですか」とメールを頂きました。ありがとうございます。思わせぶりな書き込みで更新をストップしてすみません。何年かぶりにひいたカゼで体調くずしたり、鹿殺しという劇団の芝居を観て、速攻、頭の中の消しゴムでなかったことにしたり、GW中、唯一入った仕事がヤンキー娘 vs AV嬢の罵りあい討論会の仕切り・構成だったりとどうにもピリっとしない毎日ではありますが、エニウェイぼくは元気です。P.S.元気です、俊平。まったく人生ってやつは柴門ふみ発弘兼憲史行きの列車のよう。

Nothankyouそんなこんなで2夜連続高円寺で朝まで飲んだくれてしまった。あげく昨日は電車使えばわずか10分の我が家すらたどり着けずマンガ喫茶で爆睡。起きてからは『新宿スワン』、『クロサギ』、『どぶ』、『闇金ウシジマくん』の裏社会マンガコンボに震えあがり、『ノーサンキューノーサンキュー』にしんみりしました。

ああ、GWだというのにそれぐらいしか書くことがない……。ネタに困ったときはとりあえずこれやっとけやとまだ酔いの残る頭脳が命じるので、おすすめYouTube動画を紹介しておきます。

照英SAID「おもいっきり泣きなさい」
リアルタイムで観てて腹よじれるくらい笑った。あとはシュウシュウぐらいトンチの効いたコメントが言えるようになったら完璧なんだけど……。

Gang Gang Dance - Nicoman
ついに来日するGang Gang Danceのライブ動画。カッコええ! 早くナマで体感したい!

2chでゆうところのdodoたんカワユス!
カナダの大学に留学中の中国人ネットアイドルdodolookちゃん(22)。もうどうしていいかわからないくらいキュートです。