2006/03/28

また、家まで歩いてく。

Mataie_2先週の土曜日、青山のスパイラルホールで珍しいキノコ舞踊団「また、家まで歩いてく。」を観てきました。ファニー&クール。これぞ理想のキャットパゥワー。ちょっとせつない西原理恵子フレーバーも効いてました。帰りがてら表参道ヒルズなぞも覗いてまいりましたが、あれ景観と見事にとけあってて安藤忠雄やっぱりすごいのな。

2006/03/26

THE SHAMPOO HAT 「恋の片道切符」

日曜の朝っぱらから談シング5そろい踏み&「ドキュメンタリーは嘘をつく」を続けざまに観て大コーフン。「ドキュメンタリーは嘘をつく」は内容もさることながら松江さんの同ポジでガンガンつないでいく編集がテラかっこよかった。ようするに嘘ついてないわけだもん。

koinokata先週の木曜はスズナリでTHE SHAMPOO HAT「恋の片道切符」。いまやミスター五反田団といっても過言ではない黒田大輔さんの所属劇団ということで前から気になっていたTHE SHAMPOO HAT、今回が初見。ちなみにこないだ片割れが『やりすぎコージー』(森さんの番組といい、テレ東はすごいな)で「真の」かくし芸を披露していた吉本の漫才コンビ・シャンプーハットとまったく無関係なのはいうまでもなし。
「舞台はとあるパチンコ屋の2階の休憩所兼事務所。パチンコ屋店主である在日三世の金子達は、 週末の草野球の試合に備えミーティングに余念がない。隣の部屋からは交通事故で半身不髄になった妹の弾くたどたどしいピアノの音が聞こえて来る。その頃世間では自民党のホームページに小さく書き込まれた北朝鮮からの宣戦布告文で大騒ぎになっていた。ピッチャーの不在に悩むチームだったが、バイトの面接に男が現れ…」(劇団HPより)
なにひとつ答えのない、正解を持ちえない状況の中、男たちが悩み、もがき、はいずり回るごっついドラマだった。ギャグとシリアスのバランスが絶妙。大堀こういちが演じたパチンコ屋店主の飄々としたユーモラスさが、辛酸をなめ尽くした男の凄みを伝えてやまなかった。その日の昼、取材で会った村西とおる監督とちょっとかぶったりも。妄想だけどあのパチンコ屋店主もぜったいにヤクザ嫌いだと思う。そういった類の強さを感じた。お目当ての黒田さんが演じたのは無神経な日本人ジャーナリスト。ホントどうしょうもないやつなんだけど、どっか憎めなかったりするあたり、らしかったなあ。

「これからが大変なんだ」
パチンコ屋店主が青年にかけた言葉が重かった。正解はない。それでも進まなきゃならないのが人生だから。

2006/03/24

Mount Eerie & Nikaido Kazumi Japan Tour

「こわれたケイト・ブッシュ」(勝手に呼んでる)ことニューヨークの変態音楽家集団Gang Gang Danceが5月来日らしい。ミクシィで知る。Animal Collectiveと同じくどんなパフォーマンスをするのか想像しにくい連中だけに楽しみだなー。

祝日の火曜日、渋谷O-nestへ。Mount Eerieと二階堂和美のジャパンツアー。ゲストミュージシャンがスウェーデンのJens Lekmanとイアリ夫人・ジュヌヴィエーヴさん(WOELV名義)。

まず登場のWOELV。沁みるミニマルフォーク。なんだけど曲終わりに片足あげたり、仰向けに倒れてみせたりするさすがのKレコード。ドラムでバックアップするイアリとの息もぴったりだった。

jen0321イェンスはいきなり客席でのクラシックギター弾き語り。ロン・セクスミスなんかにも通じる唄うたいっぷりにメロメロ。途中、MCで「マイコー、マイコー」ていうからてっきりマイケルという人を呼んでるのかと思ったら、出てきたのは通訳の日本人女性(→)。前回のウタモノの夕べに遊びにきてくれたまいこさんですよ。イェンスの来日実現にはまいこさんの尽力があったと聞きます。いいなあ、いちファンとして自分の入れ込んだミュージシャンの来日を実現させてしまうなんて。

久々にソロで観た二階堂和美さんはニューアルバム発売をひかえオール新曲なり。声とギターだけで紡ぎだされる小宇宙。まったくすごいことになってる。

mt0321マウント・イアリは前半弾き語り、後半はモールスを従えバンド編成。サウンドはマイクロフォンズ時代の延長ながら生硬さがとれてより融通無碍に近づいた印象。マイクロフォンからマウントへ、名義はスケールアップしながらも、コアの部分は変わらず(というかむしろ同じ)というのがいい。世界の切片から覗く雄大な広がり、大気、素敵なサムシング。ニカさんと感応しあっているのも納得のイアリ山なのです。

やっぱりライブはいいね、そんなあたり前のことをわざわざ口にしてしまうぐらいいいライブだったな。

2006/03/22

円楽のとなりに

円楽のとなりに座るのも夢じゃないって書いてから一週間もたたぬうちに円楽カミング。しかもこのページのおかげで傾向と対策もばっちりだ。ようするに番組的にこんなキュートな女の子も笑点ファンですよってのをアピールしたいがため、円楽は若い女性のそばに座る傾向がある、と。ただそういう女子の近場をゲットしても、自分の席が円楽席になってしまったらすべてが台無し。軍艦ゲームみたい。

円楽のコメント「明るい職場に冷たい家庭」って、円生が好んで色紙に書いた「今はただ飯食うだけの夫婦なり」って川柳を思い出すね。一門の伝統なのかな。「今はただ小便だけの道具なり」とか。そして円右師(芸協)は前立腺ガンで逝く――。合掌。

前立腺ガンの予防にはオナニーがてきめんなんだ。これホント。

先週のことから。

◆13日(月) チェルフィッチュ「三月の五日間」
ここ最近の作品より、ずっとエディット感覚みたいなものが出てた。だもんでビール飲んでぽーっと酩酊したりはできなかったけど、でもやっぱりおもしろスリる。内と外、こことよそ、めずらしく輪郭のはっきりした話。フレーズをパーツとして扱おうとすればするほど、滲みでてしまう生っぽい部分がぐぐぐっと迫ってくる。トータスのライブで、その肉体感覚に圧倒されてしまうときみたいに。デモのシーンなんてほとんどコントみたいな状況なんだけど、やばいくらいに生々しかった。なんだあれ。あと照明がすばらしすぎる! スペシャな感覚がベタになるラスト、最高。

◆16日(水) イキウメ番外公演「短篇集 Vol.1 図書館的人生」
なんか巧い。ただただ巧い(ものを目指してる)。話運びは凝ってるし、絶妙のタイミングで音楽(FRIDGEとか)がなるし、もうお客さん泣かせるでー、みたいな。ザ・小・劇・場!! 文句のつけようがない。こちらもさすがに分別がつく歳なので、粛々とキャラメルの箱に仕舞うだけのこと。だいたい昔からシアター・サンモール(今回はサンモール・スタジオだけど)で観た芝居はことごとくキャラメル味だったわけで、はじめからそういうモードで楽しめばいいだけの話。

◆17日(金) サンガツ・ライブ
「三月の5日間」がサンガツの「Five Days」だなんて言われるまで気づかなかったよ。でも「Five Days」をはじめて聴いたときのことは覚えている。お茶の水のディスクユニオン。浮かんでくる風景があった。四畳半の部屋から開け放った窓越しに見る町並み、景色。こう書くとナイーブにとられかねないんだけど、実際にはもっとこうスカッとした感じ。サンガツって語感もそう、なんか早起きして部屋の空気を入れ替えるような健全さと新鮮さがあったなあ。

あれから7年近くもたっちゃって……なんか変わったのかな。オレかな、サンガツかな。もう風景は浮かんでこない。かわりに音そのものの手触りがそこにある。そう、サンガツの新曲はかなりよかった。

2006/03/19

Power to the People

やっとこさ一段落ついて部屋の片づけでもしようと思ってたらワンちゃんから電話。メキシコがアメリカに2点以上入れて勝たないとやばいらしい。ウメちゃんひとつ頼むわん。よっしゃまかせたれ! シコシコシコッピュッー。オレのスペルマ、ブラウン管右隅に直撃ホームランや!!(but誤審)

なんかミクシィのWBCコミュが荒れてるって。なにやってんだか。これ見て了見いれかえたほうがいいよ。ラブ&ピース運動。

2006/03/15

ANIMAL COLLECTIVE ライブ

カーニバルまでたどりつけない子どもたち。寄せては引くサイケデリアにのまれジオロジストのヘッドランプだけが頼りだ。どこかでジャン・クリストフの相剋がショートする音を聞いた――。

日曜、アニマル・コレクティヴのライブへ。超が3つつくほど満員のO-WEST、しかも最後尾スタートだったのにあれよあれよという間に2番グリッド確保。まったく割り込みとかしてないのに。それにしてもすごいライブだった。目からうろこ耳からたらこ脱皮して中から三瓶みたいなモチモチした少年が出てくるくらいハッとしてしまった。新鮮さの中にもまた痙攣するニューヨーカーたちの遺伝子も感じたり。あそこらへん切れてるようで切れてない。覚醒と鎮静をくりかえすうちに自分の内なる力をゆり起こされるような高揚感を味わった。オレたちは虎だ! でも内なる力ってライブでベストポジションを確保する能力とかだったらどうしよう。笑点のオープニングで円楽のとなりに座るのも夢じゃないよ。

2006/03/13

説明を越えた状況

改めて書こうなんて思ってるうちにどんどん時間がたってしまう。ザッカンだけでも。

futariiru 月曜、五反田団「ふたりいる景色」。毎度のことながら素晴らしかった。この劇評でも書いたとおり前田司郎もとい五反田団ってずっとひとつの問いの周りをぐるぐる回っていて、その問いがあるときは「おしっこ」だったり、またあるときは「寝させない」だったりっていうギミックの形をとることで観客の劇的想像力をかきたててきたわけなんだけど、前回「キャベツの類」から、その問いから逃れられない前田さん自身の無意識のようなものも劇作に動員されるようになって、とんでもないところに迷い込んでしまってる。前田さんの自問自答に観客がつきあわされているようで形式だけみればかなりいびつだ。しかし、観ていることで立ち上がってくるイメージの求心力はこれまで以上。でもってあとをひく。五反田団はあとから効く。

小説を書いたことの影響もモロに感じた。アフタートークでの前田さんの言を借りれば「窃視症から露出狂へ。もしくはその二つは元来同じものなんじゃないか」。この方向性の先になにが見えてくるのか、楽しみでしょうがない。

yumenosiro 木曜、ポツドール「夢の城」。記録的な豪雨のなか「ANIMAL」を観にいったことを思えばちょっとやそっとじゃ驚きません。というかむしろ、おもしろかった。慣れた? いや違うと思う。「ANIMAL」ではたんなる群れとしてしか描けてなかった(それがねらいかもしれないが)のが、今回はひとりひとりを磁力ある関係性の中で描いていたから。ワイズマンや平田オリザのような精密に組み立てられたリアルの感触。内容のエロキワドさやジャンクさっていうのはどうなんだろう。ひとつの意匠にすぎないってのはそうなんだけど、いかんせん自分の場合、あいかわらず仕事の6割5分ぐらいがセックス&バイオレンスがらみなのでそういうものから比較的距離をとって生活しているひとたちがどんな風にみるのかが想像できなくって。まあそんなにエロくはねーか。

ワイズマンといえば先月号の『文學界』にインタビューが載ってた(インタビュアー・冨田三紀子)。映画についてはだいたい以前ワイズマンについて触れたときにも引用したような内容でそれほど目新しくないのだけど、近年ワイズマンが演劇の演出を手がけてるって話は興味深かった。映画では「さまざまな共同体を巡る複雑な人間関係を描き、権力の構造を浮かび上がらせる」ワイズマンなんだけど、これまでつくった演劇はどれも「一人芝居」か「二人芝居」(二人といっても、ほとんどが片方の独白)だという。昨年演出したのはベケットの「しあわせな日々」。
 ベケットの世界観は、わたしが自分の映画で描こうとしていることと似ていると思います。彼の思想のすべてを理解しているわけではありませんが、彼の世界観とわたしが映画で表現しようとしていることとの間に共通点を感じるのです。

――「福祉」もベケット的でしたね。

 ラストの男性の独白はもちろん、文字通りベケットです。また同時に、人々がおかれている状況もベケット的です。あれは説明を越えた状況ですよね。ベケットに関してわたしが最も尊敬しているのは、説明することに対する「否」の姿勢です。そして、彼が常に説明を排除しているという事実自体が説明を形作っているのです。中でもわたしが最も好きで、最も重要なもののひとつだと思うのは、何事も説明などできないのだ、という考え方です。わたしの知る限り、福祉サービスについて、充分だと太鼓判を押せるようなイデオロギー的説明などもちろんありません。

ポイントは「説明することに対する「否」の姿勢」そのものが「説明を形作っている」ってとこだろう。

ではでは、アニマル・コレクティヴのライブに行くのでまた! 久々に胸が踊ります。

2006/03/05

にかスープ&さやソース@花やしき

◆2月のしわ寄せもようやく落ち着いてきた土曜日。午前中で仕事を片づけ、昼は近所の井の頭公園で知人がやっている太極拳教室を見学(というかほとんど冷やかし。ごめんなさい)。そのまま昼食がてら参加者の方達とマンダラ2横のどいちゃんでだらだらトーク。カンボジア土産の餅みたいなおかし(クセになる味)を食べ遠くアンコールワットの空に思いを馳せくちゃくちゃ。

◆一瞬家に戻って、夜は浅草へ。花やしきで二階堂和美さんとテニスコーツさやさんのユニット・にかスープ&さやソースの『イピヤー』レコ発ライブ。花やしき貸し切りっていうから万有引力の野外劇みたいなものをあそこまで大がかりじゃないにしても想像してたんだけど、ほぼイベントステージを使ったいつも通りのライブでややがっかり。仕掛けとしてはゴンドラでの登場と、花道やダンサー(あまり効果的でなかった)を使ったのと、電飾の演出ぐらいか。曲ごとにアトラクションを移動、みたいなのは技術的に(そもそも契約的に?)難しかったかなあ。ミュージシャンにそこまで求めるのも酷だけど。あれだ、「夜の遊園地をまるごと貸し切って」なんて謳うからいけない。普通に「花やしきのステージで」てゆってくれれば。

◆とはいえ音楽自体は素晴らしかった。にかスープ&さやソースの世界はやはりライブで体験すべきものだと実感。バタバタと衣装替えやサポート男性陣とのやりとりも楽しく、ステージ後方に描かれたチビドラゴンの「FUKU KITARU!」「WELCOME TO FORTUNE!」て吹き出しとあいまってこちらの頬もゆるみがち。もう縁起モノ?みたいな、聴いてるだけで福がきそうな多幸感に溢れていた。

hanayashiki
終演後、ステージ屋上で閉園アナウンスをするにかスープと
「蛍の光」をくちずさむさやソース

◆ライブ後、会場で合流したNさん(サイトもう更新しないの?)、Sくんと渋谷に移動し、二人がDJの練習をするというバーについていく。練習のつもりが途中からフリのお客さんがけっこう入ってきちゃって、ぜんぜん練習じゃなくなってて笑えた。メタルばっか用意してたSくんなんて冷や汗だらだら。なんちゃってDJといえど「常在戦場」の気構えが必要ってことですね。勉強になりました。

2006/03/03

解放治療の夜

昨夜は解放治療の施しを受けに大久保HOT SHOTへ。出演者ラインナップが小林万里子&鷲尾悠持郎、元気いいぞう、坂上弘、チャーリー東京、エーツー、マナティ という超絶的に素晴らしきイベント也。

例のごとく(悲しい……)1時間ほど遅れて到着したらエーツー熱唱中。久しぶりに見たけどスケールアップとか新展開とかとはまったく無縁。あいかわらずアイドルなのに手作り感満載という、チープさと高貴さが同居する最低で最高のエンターテイメント。

つづいて登場の84歳、史上最年長現役ラッパー坂上弘。自らの交通事故体験を歌ったドキュメント・ラップ『交通地獄』が熱い! 追突された瞬間の「バターン、キューン」という描写、閻魔大王まで登場する神秘の臨死体験、手にした保険金をキャバレーにつっこんですっからかんになったというオチに至るまでまったく無駄のないリリックにうなる。ヒップホップというよりは崔健のチャイニーズ・ロックのようなヌケのよいトラックも最高。またラストに歌われた尾崎豊「卒業」のカバーも絶品で、「魂までカバーすればオリジナル」という喜納昌吉の名言を地でいくような熱唱だった。84歳が歌う「卒業」。仕組まれた自由に/誰も気づかずに/あがいた日々も終わる/この支配からの卒業/闘いからの卒業――この説得力たるや!

元気いいぞうさんはもう、いつもどおりの自由すぎるステージ。「まあ、生きていれば良しとする」をフルコーラスで聴けたのが収穫だった。ホントいい曲なんだあ。

kobayashi0302そして今夜のお目当て小林万里子&鷲尾悠持郎! ずーっとファンで、昨年末には飲みの席までご一緒させてもらったのだけど、ナマで観るのは初めて。いやーよかった! 「ミスタードーナツのテーマ」「子宮筋腫のブルース」これぞ言葉の本来の意味においてブルーズ! あたしは透明人間かいって叫びに笙野頼子を思い起こしたり。アンコール「便所のブルース」の大熱狂。おんなは便所/おとこの便所/○子も○子(さる高貴な方たち)もおとこの便所……! これにて解放治療完了!!

いろいろご挨拶して帰りがけ、小林万里子さんの「エンタの神様とか出てはるんですか?」という問いかけにエーツーの二人が全力で否定してて笑った。「お笑いじゃないですッ!アイドルです!」。たしかにステージを降りると二人ともかわいらしい女の子だし、姫子(あの格好のまま自宅と楽屋を往復。リスペクト)とかと一緒にしたらかわいそう。

2006/03/01

「フリーターとネオリベ現代生活―われわれの生の無条件の肯定のために」

いまだ2月のしわ寄せに足をとられてる。なんで2月だけ28日までしかないんだろう? 31日まである月を減らせばすむことじゃね?

10日もまえの話だけど、杉田俊介さんと白石嘉治さん(矢部さんは家庭の事情により急遽欠席)のトークセッション@池袋ジュンク堂行ってきた。セッション自体の流れはこんな感じ。はじめに白石さんがバッテン至上主義(両腕で×をつくって「マーケット」)ことネオリベがいかに怖いかって話を延々するんだけど、そのあいだの杉田さんの沈黙が、すごかった。それはもちろん話す順番として黙ってるだけなんだけど、ずっとうつむいてて、もうジュンク堂の中でも杉田さんの周りだけ重力が違うんじゃないかっていう沈みこみよう。動じない身体のみが放つ迫力があった。

上のリンク先にもあるように、セッション後半、杉田さんのリバタニアニズムに対する注意の喚起がちょっとしたひっかかりになった。もちろん重度障害を持った人が尊厳死を表明する際の自己決定の複雑さ・個人の自由意志だけではわりきれない困難さを現場の切実さでもって語る杉田さんだ。そこにはリバタニアンのいう「自由」がノー天気な、そういって悪ければ“空想的な”代物でしかないという認識が譲れないものとしてあるはず。ただ『フリーターにとって「自由」とは何か』の中における他者への厳格な目線に、うっすらとリバタニアン的な「正義」の感覚を感じてしまっていたのも事実。その違和感については本人に直接話したこともあって、そのときの杉田さんの答えはたしか、自らの強烈すぎる自己嫌悪の裏返しでそういった感覚を呼び寄せてしまうというものだったと記憶している。

自己批判からくる研ぎ澄まされたストイシズムは杉田さんの文章における魅力の一つでもあるのだが、ここはやはり分水嶺だと思う。おそらく杉田さんも自覚しているであろうある種のだらしなさやぐだぐだとした感覚、それらを克服すべきものやお上によるレッテル張りとしてだけ捉えてしまってよいのかどうか。

各々の現場に関わってくることだ。とくに労働の現場に。たとえばオイラが数年間ではあるが「障害」者のグループホームで介助していた経験でも、そういったどこかぐだぐだとしたあいまいな感覚抜きにヘルパーを続けていくのは精神的に厳しいように感じられた。逆にいうと「介護保険法」や「障害者自立支援法」などはそういったあいまいな領域を狙いすましたように攻撃してくるわけで。

「難しく書きすぎてフリーターすべてに読みやすい本じゃなかった」杉田さんは言う。それは半分はそうだが半分はちがう。「当事者」としつつ自らの現場に軸足を置ききれてない、あるいはそのための言葉を手にできてなかったんじゃないか。平井玄の『ミッキーマウスのプロレタリア宣言』こそ、フリーター問題について杉田さんが書くべき本ではなかったか。

もっと言えばトークセッションに集まった人たちもそれぞれの現場があったはずなんだけど、むしろそこだけが棚上げになってるように感じられるのはどうしてなんだろう。それはけして今回だけのことじゃなく、ああいう場はいつもそうだ。でも打ち上げとかになると労働現場での軋轢話なんかがけっこう出てくる。これはもう仕方のないことではあるけれど(じゃ書くなよ)。

あたり前なんだけど、こういうのはぜんぶ自分にもはね返ってくること。それに杉田さんは『フリーターにとって~』を乗り越えるべく次の太刀を振るってる。ブログを見てもあきらかだろう。いいかげん自分もエロ原稿やヤクザ記事をルーティンにこなすことに慣れてる場合じゃないって。自戒をこめて!