2006/02/23

JOSH MARTINEZ, SLEEP & MAKER JAPAN TOUR

いまさらながら先週の金曜、降り積もる仕事を尻目にJosh Martinezのライブへダイブ@渋谷Lush。対バンの降神のディープな世界にやられる。そのへんのぱっとしない劇団よりよほどシアトリカルなステージはかわらずのまま表現力だけさらに深化。ピュアすぎて鼻白む瞬間もないことはないんだけど、その危ういバランスがまた魅力だったりする。ラスト「帰り道」(←直リン。客の中にmikaihooくん発見!)への流れは震えた。

降神のステージがかなりの満足度だったので、この時点でもう帰ってもいいかなと。もちろんJosh Martinezの『Midriff Music』はかなりゴキゲンな名盤。でもその気軽さゆえ観ないでもいいかあなんて……。

しかし思いとどまってよかった。なによりJoshと、一緒に来日したSLEEP、MCふたりの風貌が素敵すぎた。SLEEPはもう文字どおりナード。背格好がパンチョ伊東で、長袖シャツの上に微妙なサイズのトレーナー、こないだAKB48っていうアイドルユニットのイベント取材に行ったんだけどその会場にいたアイドルオタクたちの群れに紛れてたとしてもいっさい違和感なし! とらのあなの同人コーナーにいても誰も驚かないよ。しかもこのパンチョがまた、高速フロウかますんだ。顔赤くしながら。そりゃ盛りあがるって。そして肝心のJoshの、人生の深刻さとかとはまるで無縁なそのとぼけ顔! もう高田純次かJosh Martinezかってくらいで。英語のわからないオレですらきっとそんなに深いこと言ってないんだろうなとわかる軽やかでちょっと鼻のかかったフロウも絶品。調子づいたパンチョと純次の絶妙なマイクリレーや、お揃いのハッピ着て「Eye Of The Tiger」(ロッキー3のテーマ)熱唱など、ただただ楽しかった。久々に踊りまくったのだった。

2006/02/22

ジャングル、それは内館牧子

◆部屋のジャングル化が止まらない。リモコンが見つからないのはいつものことだが、必要な資料まで出てこないのはまいる。あとレンタルCDの歌詞カードとか。職住をわけたほうがいいよってアドバイスされた。でもそんなん金もないしどうせいってゆーの。

utidate◆でもってジャングルといえば内館牧子だ。ライオンとか肉食とか獰猛さとか混沌とか湿地帯とかその他いろんな含みがあるわけだが、とにかく日本人でここまでジャングルを感じさせてくれるのは牧子をおいてほかない。明日からあだ名はサファリでもいいくらいだ。なんで急にそんなこと言うかというと、さっき吉祥寺ロンロン内の弘栄堂書店をふらついてたら、レジ横の床にベタっと座り込み苺を手づかみで食ってるおんなの人がいたね。赤いタートルネックのセーターにフレアしたジーンズ、30代半ばのビューティフル・ドリーマー。手や口のまわりなんか苺の果汁でべったりで、店員の注意もどこ吹く風。もう涼野杏梨(苺をむしゃむしゃ)か玉井梓(バラの花むしゃむしゃ)かと。おれも内舘牧子ファンのはしくれとして『新潮45』読むふりしながら経過を見守ってたんだけど、最後は警備員のおっさんに連行されてってしまった。おれの脳内に内館ドラマでおなじみのヘンな民族音楽が響いた――。地母神のように牧子が踊っていた。(とくにオチなし)

2006/02/18

「人生って何?」

◆トリノ入りした大物カメラ小僧たちが各局女子アナと激しい攻防を繰り広げ日本選手団以上の戦績をあげているらしい2月もなかば、予想どおり自分のキャパを越えそびえ立つウォール・オブ・ジョブの壮大さにはおののくばかりです。アテネの街を破壊する軍神アレス(超デカい)を前にしてもビビらないクレイトスのような強さがほしい――。

◆というわけで『ゴッド・オブ・ウォー』買っちゃったよ! 米光さんの紹介のせいだ。しかし素晴らしい。ほとんどゲームをしないオレでもわかるストレスレスな操作感と的確な演出術。荘厳な音響がもたらす迫力の臨場感。呪われた人間が神に挑むというベルセルクばりのファイト・オア・デッドな運命と、ジョジョ第2部ばりの頓智のきいたボスキャラの倒し方にアドレナリンもあがりまくり。とにかくやっつけないと仕事にならないので死ぬ気でクリアした……。ラスボスの倒し方がジョセフ・ジョースター的戦法じゃなかったのだけがちょと残念。だってあんなに苦労して手に入れたパンドラの箱の効果がまさか……なあ?

paavoharju_yha◆さいきんのお気に入り音楽、PAAVOHARJU『YHÄ HÄMÄRÄÄ』。北海の絶壁に立ちつくすような一曲目から、裏打ちリズムがアフターマスなラストまで完璧すぎる一枚。憑かれたように聴いてる。ディスコやノイズの彼岸にうすらと響く唄が中近東の歌謡曲のようにエキゾチック。その混淆ぐあいにクスっとくる。Gang Gang Danceの『God's Money』しかり、こういうのが自分のツボだったかといまさら目からうろこぼろぼろ。思えばKate Bushの『Dreaming』好きもこのへんにあったか。

◆ナイロンの「カラフルメリィでオハヨ ~いつもの軽い致命傷の朝~」が再演決定。初演は健康時代の88年だけど、まぎれもなく90年代を代表するグレートワークスの一つだと思う。いま再び見るのはちょっと怖くもあり(それ以前にチケットとれるのか?)。ほんのわずかなホントのことを伝えるための冗談やテレやごまかしの偉大さ。いや逆なのか。そこがわかんなくなっちゃう地点に連れてってくれるカラフルな輝きは古谷実の『僕といっしょ』なんかにも通じるものがあったあの頃。「人生って何?」

2006/02/03

ふぐ三昧

鶯谷で快楽亭ブラック師匠にふぐ料理をご馳走になる。官能作家の安達瑶先生、芸能プロデューサーKさん、それから師匠のブログの入力を手伝っているKさんがご一緒。借金男の異名もとるブラック師匠にご馳走して頂くのも気がひけるが、昨年中お世話になった4氏へのお礼とのことでありがたく歓待にあずかる。

ひれ酒、ふぐ刺し、ふぐ鍋、ふぐ雑炊、久しぶりのふぐはじつに美味。築地の魚河岸時代、冬はふぐ屋と化してたのでふぐにはちょっとうるさいの。ってそんなわけない運んでただけだから(でもちょっとは仲買価格で買って食べたりした)。しかしあいつら怒るとドッジボールくらいの大きさになるからね。怖いよー。料亭のいけすに水槽(発砲スチロールの上にビニール袋をふくらませてつくる)で運んだ活きふぐ達を流すんだけど、そこで興奮したふぐ野郎がふくらみやがって水しぶきが立ち、でもってその水が食事してるお客さんにちょっとでもかかっちゃったりした日には大将の手がとんでくるよ。客の手前、大将も芝居がかっちゃってホント怖いんだから。

ブラック師匠、浅草東宝の閉館がよっぽど寂しいらしく、もしかしたら阿佐ヶ谷近辺に引っ越すかもなんてゆってた。たしかに日記読んでると3日に1回くらいはラピュタ阿佐ヶ谷だもんな。

※明日04日(土)夜、「ウタモノの夕べ」やります。場所はこちら。オシャレイベントじゃないです。よかったら気軽に(¥300)遊びにきてください。

少女単体 「ロミオとジュリエット」

romiotoあまりの歯痛のため直前まで行くかどうか迷った少女単体公演「ロミオとジュリエット」。けっきょく15分遅刻で北沢タウンホール到着。第一幕を見逃す。生中継だったらしい。

公演の概要についてはこちらで。手抜きですみません。しかしこれよくまとまってるし。

○ミ○宅に移動するとき考えていたのは「これ寺山修司だったら苅谷さんがキレた○ミ○さんに警察呼ばれて連行されたり奥さんにナイフで刺されたりってな事件が起こってでもじつは全部芝居でしたってこともあるんだろうけど(かなりベタだが)、きっとそんな作り込みなんてなくて全部まんま、そのまんまなのだろうなー」と。でやはりそのとおり。ありのままのもん見せられてもってやつだ。これについてはもう何度も何度も書いてるのでリンクですませてしまう(こんなんばっかですみません)。○ミ○さんはたしかにおいしいキャラだけどあんな一本調子のいじり方はないよ。倫理的にどうこうっていうんじゃなく、もっと光らせてほしい。それはそれで残酷なことではあるんだけど。だいたい最後の方のこれぐらい画が撮れてればオッケーなんじゃないの(公演中ずっとDVカメラが回ってる)って空気にも萎えた。

でもあの腹の据わり方というか、得体の知れないガッツは見ておいてよかった。けっこう平野勝之を追ったドキュメンタリーとか期待してしまってるんだけど。

2006/02/02

フリーターにとって「自由」とは何か

freeterni

2月は昨年もっとも忙しかった月。今年はどうだろう。まだわからない。18日には杉田俊介×矢部史郎というトークセッションがある。

杉田さんの『フリーターにとって自由とは何か』は、地味な装いながらその実とても挑発的な本だ。この本については杉田さんに『ブログマガジン』という雑誌の仕事でインタビューさせて頂いたので、許可を頂きこちらに転載しておきます。ビギナー向けブログ雑誌という媒体ゆえ食いたりなさもあるかもしれないけど、だからこそ少しでも感じるところがあれば、ぜひとも『フリーターにとって「自由」とは何か』その本を手にとってみてほしいと思う。

『「フリーター」にとって自由とは何か』
杉田俊介インタビュー


足りないイスを奪いあっても未来は見えない

内閣府によると01年時点でのフリーター数417万人。そんな統計を確認するまでもなくフリーターは増え続けている。これを読んでいるあなたもフリーターかもしれないし、いまは違ってもこの先フリーターになるかもしれない。いずれ国民の2人に1人がフリーターという時代がくる、なんて予測すらあるのだから。ともかく何かが大きく変わりつつある。そんな事態に行政や学者は調査に動きだし、最近じゃ広告代理店のマーケッターまでもが(いや彼らがもっとも機に敏だ)ああだこうだ言いはじめている。
しかし、当のフリーター自身の声はなかなか聞こえてこない。生活に必死でそんなこと考えてる余裕はない? 好きでやってるんだからほっとけ? でも本当にそれでいいのだろうか――。

「いまだにフリーターにはある種の『自由』というレッテルがくっついてると思います。『会社人間からの自由』『時間が多く使える自由』みたいに。でも本当にそれは自由なのか、ということを考え直してほしいんです。一見すると拘束されてなくて自由じゃんって言われていること自体が、じつは未来を収奪されていることだったりしている」

そう語るのは、最近『フリーターにとって「自由」とは何か』(人文書院)という本を出版した杉田俊介さん(30)。杉田さんがそう考えはじめた根っこには、自身のフリーター経験がある。

「4年くらい前まで大学院で日本文学の研究者を目指してたんですが、経済的な壁にぶつかって、辞めるか続けるかで悩みつつアルバイトで食いつないでいた時期があったんです。お金がない、万一大学院に残れても仕事に結びつくかわからない、そういう精神的に追いつめられていた時期で、バイト先のコンビニや本屋でもべつに親しい仲間がいるでもなく、警備員の日雇仕事も現場での連携だけ。確実に苦しいわけです。でもこの苦しみっていうのがどこから来ているのか分からない、これはどういうことなんだろうって」

この“苦しみ”をあなたは自業自得だと思うだろうか。しかし、それだけではフリーターの置かれている状況の厳しさを説明することはできない、と杉田さんは言う。

「日本ではフリーターについて基本的に個人の問題だと思われていて、けっきょく自己責任と本人のやる気の問題で片づけられてしまいますよね。経済的な構造の問題も、心理面の問題にすりかえられてしまう。でもたとえば、大阪で野宿者支援をずっと続けている人から教わった『イス取りゲーム』の話にたとえると、10人いるのにイスは8個しかないわけです。正職員が6個とる、アルバイトが2個をとる、しかしどうしてもイスに座れないが人が2人いる。そういう状況でいくらインセンティブ(やる気)を出させてもイス取りゲームが激しくなるだけで、状況そのものは変わらない。もしくはそのゲームに乗りにくい人がますます落ちていってしまう。だから、この本ではまずそういう構造の問題があることをはっきりさせたいと思いました」

その目論見どおり『フリーターにとって「自由」とは何か』では、女性労働者/マイノリティ/資本制/高度経済成長型システム/社会保障制度/貧困の汎世界化など、フリーターを取り巻くトピックが一つ一つ検証されていく。しかもそれらがすべて杉田さんの足下をえぐるかたちで論じられるため非常に生々しいレポートとなっている。読めば読むほどにフリーターにとっての「自由」という言葉が暗いものとして響いてくる。そこにほのかでも明るい未来を見ることは難しいのだろうか。

「最近ブームになってるフリーターやニートに関する本を読むと、分析があった上で、必ず最後の方におまけ程度にヴィジョンやオルタナティヴ(代替案)が書かれている。僕自身もNPOとかワークシェアリング、ベーシックインカムといったオルタナティヴを自分なりに調べたんですが、けっきょくいまは書くことができなかった。ある人にはライトな未来像が見えてるのかもしれないんだけど、僕の目からはこういう構造的な問題が見えたとしか書けなかった。この重苦しさは僕の資質なので、しょうがないんですね。もっとポジティブな人間にならなきゃと思いこんでた時期もあったけど、というかこれを書いた直後も思ったんですが(笑)、やっぱり重苦しさを突きつめるしかなかった。だから、僕が見たものについて君たちはどう思う? その呼びかけがむしろ大事かなと思っています。あとは自分で考えてほしいっていう」

たしかに多くのフリーター本にはなんらかの改善策や代替案などが書かれている。それらは思いつきだけのトンデモなものから精神論に傾いたスローガン、実態調査に基づいた綿密な提案までさまざまで、なかには現実に役に立つものもあるだろう。それはそれで重要なことだ。ただ一方で、この『フリーターにとって「自由」とは何か』のように、フリーターを調査や研究の対象としてではなく、まさにフリーター的労働を生き、現場に巻きこまれているがゆえになかなか明るい展望は見えてこない。見ることができない。そんな抜き差しならないリアリズムに根ざしたレポートだってもっともっとあっていいはずだ。

まず自分の生活圏、プラスアルファでネット

杉田さんが『フリーターにとって「自由」とは何か』を書くにあたって、日々の労働現場での暗中模索とともに大きな支えとなったのが、知人たちとのメールやホームページ/ブログを介した意見交換だったという。そもそも出版にいたった経緯も、杉田さんのホームページ(「批評的世界」http://www5c.biglobe.ne.jp/~sugita/)に出版社の編集者が送ったメールがきっかけであった。

「2年半くらい前ですが、『フリーターにとって「自由」とは何か』のエッセンスとなる短い文章をホームページにアップしたら、それを見た人文書院の若い編集者が『これはとても重要なテーマだと思うので、ぜひ本にしませんか』っていう連絡をくれて。ただ、その文章はいずれある雑誌に発表する予定だったので一度お断りしたんですが、そうこうしているうちに発表するはずだった雑誌でいろいろあって、そのタイミングで再度オファーを頂いたんです。しかも今度は社内の企画会議も通った状態で。雑誌の方の人達も出版できるのなら遠慮せずにそっちで書いてくれと言ってくれたので、それで正式に書き始めました」

執筆中の原稿には、メール・掲示板・ブログなどでさまざまな人達と交わされた議論が反映されていった。そういう意味で『フリーターにとって「自由」とは何か』は杉田さん曰く「ある種の共著と呼んでもいい」。たしかに杉田さんのホームページをのぞくと掲示板やコメント欄でのやりとりが非常に実りあるものだったことがわかる。そこには借り物でない意見の交換があるし、生産的な議論が存在している。これは批評的・学術的なブログの多くが知識の垂れ流し状態に陥りがちな中、なかなかレアなケースにも思える。

「九州や韓国に住んでいて一度も会わないままもう数年のつきあいになる方もいますが、だいたい共通しているのは、安定不安定を問わず、自分の生活圏というものがちゃんとある人達のような気がします。まず自分の生活圏があって、プラスアルファでネットがある。どっちが上というわけではないんだけれども、そこをしっかり峻別できている人達。逆にネットに過剰な期待を抱いてたり、自分の全てを没入させたりするようなタイプの人はなんとなく去っていってしまう気がします」

いまでこそそう言える杉田さんも、かつてはネットに過剰な期待をし、没入してしまう側面もあったという。ちょうど大学院を休学し、先の見えないフリーター生活でボロボロになっていた時期のことだ。ネットにアクセスすれば「何か」がある気がした。逆にいえばそれほど追いつめられていたのだろう。だがそんな感覚は次第に醒めていく。図らずもそれは杉田さんが自分なりの生活圏を見出していく流れと並行していた。障害者サポートの仕事に従事するようになり、ホームぺージの日記も1年ほど前からブログ(「いちヘルパーの小規模な日常」http://d.hatena.ne.jp/sugitasyunsuke/)に移行して更新するようになった。

「不安定にあっちこっち移動しながら仕事してる僕みたいな人間にとって、どこからでも更新できるブログはすごく便利ですよね。記事に対するコメント機能も、昔の掲示板システムに比べて本文とうまく連携するのがいいと思う。ただブログ特有の、特に『はてなダイアリー』に顕著かもしれないけど“閉塞感”ていうのもあって。僕の本はいまのところブログで色んな反応があって、好意的な書評も多かったりするんですが、じゃあブログと関わりがない人はどういう感想を持つのか、というのがほとんど見えない。そういう偏りは感じます。けっきょく自分もブログを使って発信してるんですが、そういった感覚は常に持っています」

たしかにフリーター労働はブログの外側にはるか広大に横たわる現実の中にある。ブログのような素早い反応は望むべくもないだろう。だからいまはただ、この本が静かに確実に読まれるべき読者の手に渡っていくことを願うことしかできない。

「とにかく自分の見える範囲で淡々と書き続けていくことが大事だと思ってます。当然ですけど本を1冊出したぐらいで世の中も自分の人生も変わるわけではないし。仕事に関しては、いまの障害者サポートっていうのがとても不安定な仕事なので、副業を身につけたいですね。たとえば今回の出版をきっかけにライターの仕事が増えれば、それは今後のライフスタイルを思考する上でもすごく重要だと考えてます。『副業』というと正規の仕事があってプラスアルファのこづかい稼ぎって感じですが、もう少し積極的にとらえると一つの仕事だけにとらわれない『複数業』という考え方もできる。もちろん生活の必然からそうせざるを得ない場合もあるし。これからはそうやって複数の収入ルートを確保する中から生活をコントロールしていく人が、よくもわるくも増えていかざるをえないと思うんです」

2006/02/01

『愛でもない青春でもない旅立たない』 前田司郎

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五反田団主宰・前田司郎の処女小説。昨年の野間文芸新人賞ノミネート。

笙野頼子に「うんこ!」としか形容しようのない『アケボノノ帯』ていう傑作短編があるが、さしずめこちらは「ちんちん」か。あちらには女の子がうんこもらしたまま同級生の夏休みの課題作品を眺めるくだりが、こちらには別れた彼女のTバックはいたまま彼女のアート作品を眺めるくだりがある。もう戻れない。かなり間抜けなんだけどもどちらもその戻れなさ具合があまりに決定的で泣き笑いしてしまう。

五反田団の作品では直接的に描かれない「セックスのこと」がここでは前景化している。なにかとすぐ「エロい」とか言ってしまう中学生のようなメンタリティも残しつつ、大学生にもなって女の子とつきあったり仲よくなったりすると「セックスのこと」が入ってきちゃうようになったときのなんだかなあって感じがかなり生々しくって、いろいろ思い出してしまった。『愛と青春の旅立ち』ぐらい恥ずかしくなった。でも、愛でもない青春でもない旅立たない――じつに秀逸なタイトルだと思った。