2006/06/27

生田武志さんからのメール

先日アップした日記「野宿者/ネオリベ/フリーター」について、生田武志さんから丁寧なメールを頂きました。
じつは日記をアップしたすぐあとに頂いたのですが、返信をさせていただくのに1週間。さらに許可を頂いておきながら、こうしてアップするまでさらに1週間かかってしまいました。
とはいえ情報戦の様相すら呈してきたブログ時代、こんな風にレスポンスの遅い(それも微妙に)ブログもまた乙ではないかとも思うわけです。
言い訳ですが。

以下、生田さんからのメールです。

◆九龍さんへ
ブログを読みました。
トークセッションで野宿者問題の概況について多くの時間を取ったのはその通りで、あの場で「〈野宿者襲撃〉論」を読んだ人や野宿者問題に詳しい人が大多数だとは思えず、状況説明から始める必要がありました。
これは他の場(教師対象の話とか)でも同様で、「どのように考えるか」「どのように行動するか・教えるか」を語る前に、ほとんど知られていない以上「現状はどうか」を説明するところから始めなければなりません。(詳細なレポートを出したkawakitaさんも「知らないことだらけ」と書いてましたし)。
けれども、ブログを見て、九龍さんの関心のあるところにちゃんと答えられてなかったんだなあと思って、その点を書いてみたいと思いました。

ブログの中で引用された「〈野宿者襲撃〉論」の箇所は、ぼく自身が最も関心を持っていた問題に関わるところです。野宿者を襲撃する若者たち、というより多くの「若者たちが自分の中に大きなイライラをかかえていること、その出し方がわからずイライラしていること、それじたいが社会的な問題である」こと、それが何なのかということをずっと考えてきました。
その「イライラ」は、時として野宿者襲撃として現われてしまいます。しかし、(トークセッションでも言いましたが)それはある時には「志願兵」として戦争につながるかもしれないし、90年のように暴動へと参加するかもしれない。また、95年のように震災へのボランティアへとつながるかもしれない。現実にどこへ向かうかは紙一重だと思います。
ぼく自身は90年暴動を体験しましたが、「あれは何だったのか」ということはずっと気になっていました。ちょうど襲撃についてそうだったように。それを1968年革命以来の二つのホームレスの出会いの「ネガとポジ」として理解することで「〈野宿者襲撃〉論」(の特に後篇)を作り出しました。
「〈野宿者襲撃〉論」ではこの「イライラ」を資本・国家・家族の変容による「ホーム」レスとして理解しようとしています。しかし、実際には1968年以来の「資本・国家・家族の変容」は、社会で生活する全ての人に影響を及ぼしているはずです。それでは、なぜ特に若者たちが襲撃や暴動という形でその問題を集約的に体現してしまうのだろうか。

そこであらためて自分の中で焦点となってきたのは、特に思春期(というより5才と14才の時期)に現われる「瞬間と隣接」という問題でした。生と死のねじれの時間、そして他者との関係。
特に「死」の問題は、ぼくがずっと考えてきたものです。それはパスカルやハイデガーやキルケゴール以上に、岡真史の「ぼくは12歳」、特にその文庫版に収録された高校1年の読者の(岡真史の両親への)手紙を通じてでした。その読者は、12歳の自殺を「生の永遠」として理解しますが、両親はそれを理解できず、「生は確かに汚辱に満ちているが、それを含めて生はなお尊い」という理論で回収しようとします。それに対してその読者はなお強く反論をしますが、それはぼくが知る限り、「生と死」について最も深い洞察に満ちたものでした。「〈野宿者襲撃〉論」での生と死について触れた章(酒鬼薔薇少年やメビウスの環のたとえ)はその延長にあります。
それはぼく自身の14歳ごろからの問題です。5才のエディプス期、そして14才の時期には、人間の条件ともいうべき構造が一時的に破壊され再構成されるように見えます。(フロイトがどこかで思春期にはエディプス期の問題が逆向きに再現される、といったことを書いていますが)。それは人生の中では一瞬ですが、その時期にやってくるものは、通常の社会を構成する枠組みを揺さぶり、組み替える衝撃を持つものでもあると思います。

この隣人愛や「時が満ちる」ものとしての瞬間といったキリスト教の概念については、柄谷行人が言う「世界宗教」に示唆を受けました(本に引用しておくべきでしたが)。つまり、「資本・国家・共同体」を揺さぶるものは過去においては「世界宗教」、特にキリスト教だったという指摘です。世界宗教の核としての「瞬間と隣接」が露わになるとき、「資本・国家・家族」の相互関係が揺さぶられるだろうということです。
「資本・国家・家族の変容」は、社会で生活する全ての人に影響を及ぼしますが、多くの大人にとっては、自分自身が「会社・国家・家族」という旧来の共同体に安住してしまうため、その変容を察知することやその危機を体現することができません。主に思春期の若者の「イライラ」は、この「資本・国家・家族の変容」と「瞬間と隣接」の衝突から生じているのではないかと思いましたこの二つの視点を組み合わせることによって、1968年から1990年、そして現在に至る「二つのホームレス」の幾つかの出会いを描くことができるのではないかと思ったわけです。
それは、日本においては1990年暴動で爆発的な形をとって現われました。しかし、二つのホームレスの出会いを、こうした「暴動」に期待し続けるだけであれば、ただの「一揆主義」になってしまいます。この「瞬間と隣接」の破壊力を消し去らないまま、社会の中に建設的な形でどのように定着させることができるかということが課題だと思っています。

「どのようにしたら若者と野宿者の出会いをもたらす「穴」=「通路」を作り出せるのか」。
ぼく自身にとって「野宿者問題の授業」は、90年暴動の自分なりの継続、つまり歴史の引き受け方の一つです。
授業、そして本としての「〈野宿者襲撃〉論」という形で「瞬間と隣接」の破壊力を社会の中に継続させていくことが、ぼくなりの一つの「解」になっています。
「〈野宿者襲撃〉論」は、ある意味では少年犯罪論ですが、それは凶悪な少年犯罪そのものである「暴動」を経由することによって、「社会変革論」であろうとしました。「襲撃論」は、国家・資本・家族とは別の社会を求める「革命論」(1968年「革命」の意味での)でなければなりません。
その意味で、「〈野宿者襲撃〉論」は、「二つのホームレス」という「資本・国家・家族の変容」の極限形から考えられた社会変革論だったと思います。したがって、それは「極限形」であるために、わかりやすい「特殊解」でしかありません。特殊な例ではなく、「一般解」としての変革論が必要であるはずです。
ぼくは、「〈野宿者襲撃〉論」を書いた後すぐに、次の課題は「二つのホームレス」の間で成り立つ特殊な変革論ではなく、一般的な形での社会革命論だと思いました。しかし、当然「特殊解」よりも「一般解」がはるかに導出困難です。

「〈野宿者襲撃〉論」以降、いろいろと考えていますが、これというプランは出てきません。「〈野宿者襲撃〉論」の中で、「瞬間と隣接」はたぶん最も抽象度が高く(ぼくにとっては最も現実的ですが)、そのため最も普遍性を持ちうる概念なのでしょう。したがって、ここから一般的な変革論を考え出すべきだろうと思うんですが、それをどうやればいいのか、途方にくれています。

一つのアイデアは、生の限界としての「瞬間」と他者との関係としての「隣接」は、「偶然」という概念によって捉えることができるのではないかということです。中島一夫は、「媒介と責任――石原吉郎のコミュニズム」(「新潮」2000年11月号)の中で「加害と被害の流動のなかで」現われる「平等=偶然が支配する『賭け』の世界」について触れ、「加害と被害にたいする根源的な問い」を通して、その「境界が、全く偶然かつ相対的なものにすぎなかった」こと、「いつでも彼らは入れ替わっていたかもしれない」ということ、そこから「負い目」と倫理的な「責任」を導き出されるとしてします(いす取りゲームと同じ原理)。これは、中島一夫によれば「コミュニズムの核心」です。こうした偶然性としてのコミュニズムについて、社会変革の一つのあり方として考えています。
この点については「口実としての「自己責任」論」という文章でかなり考えましたが、この延長で何か出てこないか、今も考えているところです。

また、「瞬間と隣接」は平たく言うと「死と愛」ですが、ワーグナー的な「愛と死」はすでにわれわれには無効だと思います。(でも、「ノルウェイの森」も、読んでないけど「セカ中」もそのノリだったのだろうか)。「〈野宿者襲撃〉論」がある意味で最大の目標としていたのは「ホットロード」でした。あの作品は、「瞬間と隣接」をそれ以上を考えることができないほどに鮮烈かつ豊かに描き出しましたが、その結末は従来の少女マンガのロマンティックラブ・イデオロギー(性と愛と結婚の三位一体)を完成させるものでした。ぼくがその後に夢中になったのは90年代の「ハッピーマニア」でしたが、その主人公(というか安野モヨコ)は「ホットロード」の主人公と実は「タメ」です。しかし、「ハッピーマニア」は「ホットロード」が着地した性と愛と結婚の三位一体の無効を完全に実証してしまっています。では、80年代の「ホットロード」、90年代の「ハッピーマニア」の後に来るべき現在の作品は何なのだろうか。ということもよく考えています。

九龍さんが触れている前田司郎さんの作品も、読んでみようと思います。

★★
蛇足ながら、ぼくが生田さんにお送りした返信も付記しておきます。
挨拶的な文は省いてあります。文法的におかしな言い回し(メールでよくやりがち。恥ずかしい)もちょこっと直させていただきました。

◆生田さま
丁寧なメールありがとうございます。
返事がたいへん遅くなり申し訳ありません。

ブログへのアップもそうなのですが、考えが自分のなかにいったん沈殿したあと、発酵するまで異常に時間がかかるというか、いつもなにか遅れ遅れになってしまいます。
ここ数日、生田さんから頂いたメールの内容はずっと頭の片隅にありました。

頂いたメール、「資本・国家・家族の変容」と「瞬間と隣接」が衝突していること、
まさにそのことについて詳しくお話を伺いたいと思っていましたので(トークセッションに勝手に過剰な期待をしてしまってすみませんでした…)、ありがたかったです。
なかでも「偶然」という概念にハッとしました。
生田さんの言う「偶然」とはまた異なる意味合いかもしれませんが。

ぼくはかつて「青い芝の会」という障害当事者団体で介助の仕事をしていたのですが、そこにIさんという重度の脳性麻痺の男性(歳は30くらいです)がいました。
このIさん、よく一人で介助もなしにフラフラと外出するんです。車イスで。
しかも絶対にエレベーターを使わない。
そのことでしょっちゅうJRの駅員とケンカしてて、地元の駅が使えなくなったり、電車に乗るためにはわざわざ隣りの駅まで行かなくてはならなかったりと、大変でした。

Iさんはエレベーターを使わないので、階段の下で車イスを持ち上げてくれる人を4人つかまえないとホームに行けない。
なので道行く人に「すみません」と声をかけます。
すごく吃音のある声です。

ただ、そうやってIさんが声をかけることで、偶然そこを通りかかった人が介助に巻き込まれていくんです。
というか、そうやって横浜のある駅で「偶然」Iさんの車イスを押したばっかりに、それまで「障害」者と話しすらしたことなかったのに、なぜか介助の仕事まで初めてしまった一人が、ぼくだったりします。

たとえば野宿者支援にしても、理念とか社会意識といったタテマエ(もちろんそういうのも大事ですが)よりも、なにか「偶然」のようなものが、ひょんなパワーを持ってしまう瞬間はないでしょうか。
そしていま、そういう「偶然」性みたいなものが「自己責任」という物言いや管理社会のなかですごく希薄化されているのを感じます。
イレギュラーな「出会い」や「接触」を排除していく社会というか。

IさんもJRの職員が言うのに従って障害者用のエレベーターを使えば社会的にはものすごく効率がいいのでしょうが、もしそうしていたらぼくはIさんと出会わなかったわけですし。
(もちろんバリアフリーによって多くの「障害」者が自由に外出したりできるようになったことはまったく否定しません。素晴らしいことだと思います)

ちょっとまとまりがつかなくなってしまいました。

生田さんが触れてらっしゃる中島一夫氏の評論や岡真史「ぼくは12歳」、ぜひ探して読んでみようと思います。