2006/06/21

東京デスロック 『3人いる!』

◆午前中、企画書などつくって、昼すぎからジムへ。
マシントレーニング3セットやってプールでスイミング。
ほぼ貸し切り状態ゆえ、勃起の心配もなし。

Komotik_2里の宿で夕食。
泳ぐとどうにもサカナが食いたくなる。
子持ちカレイの煮付け定食。

◆5月29日(月)
東京デスロック 『3人いる!』
@下北沢CAFE PIGA

チェルフィッチュのようなハイパーな人格処理を、ほとんどゲームのように見せる3人芝居。

こんな感じ。
本田という男が部屋にいると、そこへやはり自分が本田だという男が入ってくる。
お互い自分が本物の本田であると主張し、片方を警察につきだそうとしたりするが、話をつきあわせればつきあわせるほど2人とも本田本人に思えてくる。
つまり本田という1人の人物を2人の役者が演じる(正確にいうと3人で本田1人を演じている瞬間もあり)。

2人の本田はどっちが本物かはっきりさせようと友人の家を訪ねるが、この友人も同じ症状(2人に分裂)に陥っている。

おもしろいのは、友人には2人いる本田が1人にしか見えない。2人の本田同士が交わす会話も、本田1人の独り言のように映る。その逆もしかりで、2人に分裂している友人も本田には1人にしか見えていない。
で観客には舞台上に3人の役者が見えている。

だれの主観に依るかによって見える状況が変わる。
たとえば2人に分裂した本田。片方の本田がもう片方の本田を殴る。
本田の主観からすれば、1人の役者がもう1人の役者を殴るという演技になる。
だけど、同じことを友人の主観にたつと、本田が自分で自分を殴っているように見える。
つまり、1人の役者が自分で自分を殴る。「べちっ」

こちらも観ているうちにルールが理解できてくるのだが、主観移動、人格処理が複雑に入り組んで行われるので、ぽかーんと見つめてしまった。いい意味で。
1ドリンク制でアイスコーヒー頼んじゃったのが惜しかった。ビールにしとけばたいそう気持ちよかったろうな。

やはりここで触れたような「静かな演劇リアリズムの向こう側」が意識されてるんだろうけど、それ以前に、これって談志の「主観長屋」じゃないか、なんてことも思った。

「主観長屋」っていうのは、『粗忽長屋』についての談志一流の呼び方。

『粗忽長屋』を知らない人はそんなにいないと思うけど念のため説明すると、浅草の観音様の境内に行き倒れの死体を見つけた八公が「こりゃ長屋の隣りの熊公じゃねぇか」ってンで長屋に戻って、熊公に「熊さん、さっきおめえ死んでたぞ」と報告。最初は不審がってた熊公もだんだん自分が死んだ気になっちゃって、2人で一緒に死体を引き取りにいくっていう非常にバカバカしい噺。
だけどこの2人を「粗忽者」とすることについて、家元・談志は「待った」をかける。人間、いかに主観に縛られていて、またそれを「客観」と信じて生きていることか。
家元はマスコミなどの例をあげ例証し、その上で、『粗忽長屋』は文句なしの名作である、と言い切る。
 で、『粗忽長屋』という題(な)の“主観長屋”であるが、昔から咄家、この主人公二人を“粗忽”と決めており(もっとも聞き手のほうは「粗忽ではないよ」と知っていた客も多くいたろう……)、私が主観長屋という粗忽長屋に変えたのだが、「俺は死んだんだ」と信じた熊さんは己の死骸に向かって泣く。
「泣いてるよ、あの人は。泣いたって仕様がないよ」に、
「死んだ者でなきゃあ、この悲しさは判るもんか」といい、己が死骸を抱いてしばし……。
 で、いう落(さ)げの文句(フレーズ)の物凄さは、
「ウーン……。よく判らなくなったぞォ」
「何が判らねぇんだ」の八公に、
「いえね、抱かれているのは確かに俺だが、抱いている俺は一体誰だろう?」
 文句なしの名作である、と談志(わたし)は信じている。落語こそ、本当の人間の業というか、常識という一般基準をはるかに超えたところで物事を見ている。
(立川談志 『新釈落語咄』)
そういえば、松井周はチェルフィッチュの演劇について、「これはなんだろう? 落語か?」なんてことも書いていた。でもそんな印象論でなく、立川談志が本質的にチェルフィッチュや『3人いる』と繋がってしまうのは、続けてこんなことをさらりと書いてしまうからだ。
 どこか心の底に、所詮人間なんて、何もつながらないところの言動が本当なのではないだろうか。それじゃあ、物事がまとまらないから、とりあえず、関わりのある会話をしているものの、それは、どっかで不自然で、ギクシャクした関係となっているのではなかろうか……。
 ま、いいか。
 『粗忽長屋』を演って、落(さ)げをいう。「抱かれているのは確かに俺だが、抱いている俺は誰だろう……」。
 でも、本当のところは、喋っている談志(おれ)は一体何処の誰なんだろう。
(同上)
余談だけど、『3人いる』という芝居、PIGAというシモキタの小さなカフェが使われてて、それがよかった。
BGMに朝日美穂を流したり、下北沢という街への目くばせもじつにナチュラル。
こういうのどんどん増えてくといいな。