2006/06/02

『セキ☆ララ』公開に向けて

Sekilala

明日、6月3日(土)より公開される映画『セキ☆ララ』について。

もともと『アイデンティティ』というAV作品だったこの『セキ☆ララ』。『アイデンティティ』からとくに過激なエロシーンをカットした劇場公開用バージョンが『セキ☆ララ』、という認識でまず間違ってないと思う。実際、ぼくは両方を、『アイデンティティ』はDVDで、『セキ☆ララ』は劇場試写で観たけど、内容的にはほとんど同じものとして受け取った。

ただ、ミソは「劇場公開用」というところで、自宅でひとりでAVとして『アイデンティティ』を観るのと、劇場で知り合いでもない他人と一緒に映画『セキ☆ララ』を観るというのは、まったく異なる体験である。どんな映画だってDVD版が販売されていればそういったことは起きうるのだけど、でもこの『アイデンティティ』≠『セキ☆ララ』に関しては、それはとくに大きな意味を持つ。

「“等身大”在日ドキュメント」と謳うだけあり、お堅い啓蒙映画ではない。ポップで爽やかな青春映画の趣さえ、ある。でも、この映画が「AV」と「ドキュメンタリー」のあいだで行っている駆け引きはとっても政治的なものだ。また映画はアイデンティティが「日本人」と「韓国人」の間で揺らがされてしまう状況についても政治的な視座を外していない。『セキ☆ララ』を『セキ☆ララ』として“等身大”で受け止めようとするとき、観客のなかで知らず知らずいろんな「政治」が渦巻いてしまう。そんなAV。そんな青春映画。まったくすげーな。

余計なこととは思いつつ、ひとつだけ残念なのは、この映画、男と女の「政治」だけがちょと弱い。AVモデルとAV監督という垂直的な関係性だからというわけではなく、男と女である以上、そこにはなんらかの駆け引き(それはとても政治的なことだ)があるはずで、そこはもう少しみたかったかも。でもまあ、男と女の「政治」について、松江監督には『カレーライスの女たち』という素晴らしい映画があるので、不満はそちらで晴らすとしよう。

Identity『アイデンティティ』(≠『セキ☆ララ』)について以前、雑誌で松江哲明監督にインタビューしたことがあるので松江さんの承諾をもらった上、再録しておきます(雑誌のほうはすでに廃刊……)。05年の6月頃の記事です。インタビューの際、松江さんにも伝えたんだけど、以前から『アイデンティティ』についてインタビューがやりたくてでもどの雑誌でもなかなか企画が通らなくて、HMJMのリリース凍結にかこつけてなんとか実現できたという、ちょっとうれしいようなかなしいような複雑な原稿仕事だったと記憶している。そもそもHMJMってなに? という方は、先に下のほうにある「HMJM(ハマジム)について」という記事に目を通してみてください。

なお一ヶ所だけちょっとわかりにくいとこ(けどクリティカルな問題)があるので解説しておきます。インタビューの最後のほうの松江さんの「いまのAVは実用性を重視するあまり、作品のバランスが崩れてしまっている」ってとこ。そのあとに「バクシーシ山下さんとかはもっと雑でいいかげんだった(それが最高だった)」みたいにゆってるので、「バランスが崩れる」というのと「雑でいいかげん」っていうのはどう違うの?って疑問を持つ方がいるといけないので。

いまのAVのバランスが崩れてるっていうのは、誤解を恐れずにいうと、もうセックスシーンが「男と女のセックス」じゃなくなってるってこと。男のズリネタとしての機能性を追求していくと、どうしてもワンカットの時間や主観ショットの使い方、体位なんかがすごく恣意的な、オナニー本位の、「男と女のセックス」としてはいびつなカット編集になってしまう。しかも編集・構成の様式がすごく洗練されてきてて、あらかじめきまったコンテに女優(そのへんのアイドルよりかわいいんだぜ!)を画としてはめ込んでいくような方法でAVができあがってしまう。ラグジュアリーに、システマティックに。でもセックス描写のバランスとして崩れまくってるのはいうまでもない。

いっぽうでバクシーシ山下が雑だった、という話は、セックスはセックスなんだけど、たんに「編集が雑」っていう。ブチブチと適当につないでいる感じ。でもその雑な感じが、バクシーシがその著書で「セックス障害者」と呼んだような彼のAVに登場する男たちの貧しいセックス観や妄想のたぐいを見事、過不足なく活写していた。だから「あのいいかげんさがまた魅力だった」ということになる。

なお松江さん本人の編集について、ぼくはインタビューのなかで「セックスのダイジェストに見えてしまう」なんて失礼なことを言ってしまってて、これはホントに浅はかな発言だったと後悔している。「ドキュメンタリーは嘘をつく」で思い知らされたんだけど、松江さんの同ポジを多用した短いテンポのつなぎは、もう独特というか、これについてはもう少しゆっくり考えてみたいんだけど、とにかくかつてのバクシーシ山下の「雑さ」がそうであったように、松江さんのあのテンポもなんらかのぼくたちの潜在的な感性を反映しているように思えてならない。おそらくこちらもそれを説明するための新しい言葉、文体を発明しなければならないような。

「挑発するAVレーベル――HMJM(ハマジム)」
松江哲明&スチャラカ宮下(HMJM広報)インタビュー

文=九龍ジョー

元V&Rの名物広報で、現在はHMJMの広報を務めるスチャラカ宮下氏と、怪作ぞろいのHMJM作品の中でもとりわけユニークな『アイデンティティ』というAVをつくった松江哲明監督をお呼びし、HMJMの過去から現在までを語ってもらった。
 
――松江さんがHMJMに参加された経緯っていうのは?
松江 僕が関わった『ほんとにあった! 呪いのビデオ』(OV)の仕事で、音楽を豊田道倫さんにやってもらったんです。それをたまたま浜田(一喜・HMJM代表)さんが見て、「なんで松江って監督の回は音楽がパラダイス・ガラージ(豊田道倫)で、しかもAVっぽい主観画面なんだ」って気になって、それを(カンパニー)松尾さんに言ったらしいんです。松尾さんとは豊田さんのライブで挨拶ぐらいはしてたから「ああ、あいつか」って覚えてくれてて。それで「単体企画系の女優さんだけど、1本(AVを)撮ってみる気はないか」って声をかけてくれたんですよ。
――それはHMJMがスタートする前?
松江 いや、もうHMJMでした。HMJMの設立から最初のリリースまでの1年間って、そうやって単体系のギャラのいい外注仕事を請けて資金を貯める時期だったんですよ。
宮下 同時並行で、いま出てる7作品のうち『UFO』(監督:堀内ヒロシ)以外の6作品の撮影準備もしてましたけどね。
――ということは、その6作品については最初の時点ですでに青写真があったわけですね。なにか共通の指針のようなものはあったんですか。
松江 松尾さんに言われたのは「とにかく松江が撮りたいものを撮れ」ってことですね。それで僕は「『在日』を撮りたいです」って言って。じつを言うとそのとき僕、ちょっとカン違いしてたんですよ。HMJMで作るっていっても、僕はできたものを、たとえばV&Rとか他のメーカーさんに売るのかなって思ってたんです。
――つまりプロダクション的な作り方をするのではないかと。
松江 そう。でもそう言ったら、松尾さんに「こんな企画、他社に売れるわけがないよ!」って大笑いされて(笑)。「ウチ(HMJM)からオリジナルで出すんだよ」って。そっかぁ、HMJMで出すってことは、松尾さんも他のメーカーでは出せないようなものが作りたいんだなと。それでパッケージも見せてもらったらレコードジャケットの形でむちゃくちゃカッコいいじゃないですか。そこではじめて「なんかヤバイぞ! なんかスゴイことになってんぞ!」って(笑)。
――04年の5月に作品のリリースが始まるわけですが、反響はどうでした。
宮下 とりあえずサンプル盤1000枚を1週間で全部配って、業界関係にはしっかりパブを打ったんですが、反響は……。正直言ってあまりなかったですね。
松江 でも、イベントはすごい集客でしたよ。
宮下 そうそう、アップリンクさんからお話を頂いて上映イベントを打ったんですよ。
松江 あの上映会では『アイデンティティ』がすごい売れたんですよ! 会場でゴールドマン(AV監督)さんが「売れるはずがない」って力説してたんだけど、「売れてるじゃないか!」って(笑)。
――でも、アップリンクに来るお客さんって、基本的にあまりAVを見ない人たちですよね。
松江 そうなんです。だけどHMJMの作品を見て面白がる人っていうのは、やっぱりあのへんなんですよ。一般的なAVのエンドユーザーには『アイデンティティ』を見ても、「女のコがかわいくない」みたいな、よく業界誌に書かれたような判断をされてしまう。
――そういうエンドユーザーにも届けたいとは思ってるんですか。
松江 正直言ってあまり期待してないっていうのはありますね。「見せてもわからないから」じゃなく「たぶん見ようともしないから」って部分で。松尾さんなんかは、まだそこのお客さんに対しての期待というか、もっと偶然的に見せていきたいんだって言ってますけど。
宮下 いや、僕はやっぱり見てほしいと思ってますよ。ただ、見てほしいんですけど、いろんな障壁もあって……。たとえばこのジャケット、形(7インチレコードのジャケットを模している)がネックでDVDショップに置けなかったりするんです。店も置き場に困ってしまうというか。あと、よく言われるんですけど、ジャケットを見ても内容が全然わからない(笑)。
――たしかに、あらかじめ情報が伝わってないと手が出しにくいジャケットではありますね。それと「4830円(税込)」という価格設定も大胆だなって思ったんですが。
宮下 それも理由がありまして、ジャケットをこの形にしたことでものすごくコストがかかってしまったんです。
――ずいぶんジャケットに振り回されてますね(笑)。
宮下 だからリリース凍結にいたった一番の要因は、このジャケットなんです!
――松江さんはどうなんですか、ジャケットについては?
松江 うれしいですよ。けして自分の作品がこのジャケットだからっていうんじゃなくて、松尾さんがこういうカッコいいものを作ろうとしていることがうれしい。だから僕は自分が関わってなかったとしても買ってますよ、絶対。でも、そういう人はけっこういるだろうと思ったら、意外と少なかった……。
――結果として、リリース凍結になってしまったわけですが。
松江 残念だなと思います。なんだかんだ言って『アイデンティティ』なんて他のメーカーさんじゃ、ぜったい撮れないじゃないですか。もし他のメーカーさんが『アイデンティティ2』を撮っていいよって言ったら、僕はすぐにでも企画書を書いて送りますよ。竹島でもどこでも行きますよ!
――たしかに、いま竹島でセックスすればおいしいですもんね(笑)。ってことで、問題作『アイデンティティ』についてもお聞きしたいんですが、「在日」の問題とかぶるように、作品そのもののアイデンティティが「AV」と「ドキュメンタリー」のあいだで揺らいじゃってるのが面白いですね。
松江 だから、AV業界誌に「セックスシーンがなくても成立する」って書かれたときは、冗談じゃないぞって思いましたから。セックスシーンがなかったらこんな作品は撮れないですよ。やっぱりAVの撮影だからこそ何日も一緒に過ごして、セックスまでさらけ出しながら、女優さんの言葉を待てるわけじゃないですか。普通のドキュメンタリーじゃできないですよ。
――ただ他のAVよりもセックスシーンのテンポは早いと感じました。たとえば松尾さんのハメ撮りのカットつなぎだと、自分があたかもセックスしているように感じられるんですが、『アイデンティティ』のカラミシーンはセックスのダイジェストに見えてしまう。
松江 僕はセックスシーンだけ独立して考えられないんです。インタビューあってのセックス、逆にセックスあってのインタビューだから。ダイジェストっていうならインタビューだってそうなんですよ。それは自分の作り方なんです。早送りさせたくないっていうのがあるんです。そこでユーザーよりの編集をしちゃうと、実用性としてはいいのかもしれないけど、作品のバランスが崩れてしまう。
――崩れたほうが面白いんじゃないですか。
松江 イヤです。なんでかっていうと、いまのAVはみんな崩れてますから。『アイデンティティ』が最初の批評を受けたとき、やっぱりこれじゃいけないのかなって思わなくもなかったんですけど、でもなんかね、それってたんにいまのセル(セルAV)の基準なだけじゃないかって。だって昔のAVのカラミなんてもっと雑だったじゃないですか。バクシーシ山下さんとか。あのいいかげんさがまた魅力だったわけで。
――たしかに、かつてのAVにあった「AVでこんなところまで行けるのか!」っていうワクワク感とか熱気を『アイデンティティ』には感じます。それは他のHMJM作品にも言えると思います。
松江 僕はね、ジャンルの縛りが一番ないのがAVだとずっと思ってたんですよ。AVっていうとてつもなくでっかい枠があって、もちろん自分は真ん中だとは思わないです。端っこのほう。その端っこのほうから「認めてくれ」っていうんじゃなくて、「いったいAVってなんなんだ!?」って突きつけるのが僕の役目。でもね、これは松尾さんとも話したんですけど、意外とみんなが考えるAVの枠って小さかったんだねぇって。

HMJM(ハマジム)について
文=九龍ジョー

HMJM(ハマジム)はフリーのAV監督・カンパニー松尾が仲間たちと立ち上げたインディペンデントAVレーベル。設立は03年5月。翌04年5月より作品のリリースを開始した。
松尾たちをHMJM設立に駆りたてたものは、「かつてのV&Rをもう一度つくりたい」という想いだった。かつてのV&R――それは代表の安達かおる(現在もV&R社長)を中心に、松尾やバクシーシ山下、平野勝之らが規格外のキワモノ作品や実験作を次々と発表し、業界最強(最狂)の名をほしいままにしていた時代のV&Rにほかならない。
とはいえ松尾はけしてキワモノ路線がやりたいわけではない。監督それぞれが思い描く作品を、たとえそれがどんなに突拍子のないものでもリリースし世に問うことができる。そういうかつてのV&Rにあった自由闊達な雰囲気のもとで作品製作をしたいということなのだろう。そこにはズリネタとしての機能性が追求されるあまり、内容や製作体制が硬直化してしまったAV業界に対するアンチも、少なからずあったはずである。

ここでちょっと個人的な話をさせてほしい。かねがねAVの撮影現場を見学するたびに思うことがある。たいていどの現場でも、スタッフは女優さんを美しく撮り、カメラの前で最高のパフォーマンスを発揮させることに四苦八苦するわけなんだけど、じつはカメラの回っていない時のほうが女優さんはキュートだったりする。フィール・ライク・ナチュラル。だけどそういう女優さんの素の状態っていうのは、現在の実用性本位のAV界ではズリネタに直結しないノイズとして片づけられてしまいがちだ。なんとももったいない話で。
もちろん好みの問題であることは百も承知。でも、そういう素のおしゃべり(フェイクはナシよ)と、カラミで見せるエロい表情のギャップにグッときて思わずチンポを握ってしまう連中だってけっこういるんじゃないか?
そういう通常のAVではカメラの回らない場面に宿る女優の「リアル」を追求してきた監督こそカンパニー松尾であり、いまのところ他の監督の作品にも見られるHMJMレーベルの特徴でもある。だからHMJM作品はどれもおしゃべり(あと食事!)シーンの時間が長いのだが、コク深さではカラミシーンに負けてない。というかその2つが切り離せない。そこに松尾が考える「男と女のセックス」があるから。
身構える必要はない。なにしろカンパニー松尾のハメ撮りは悪魔的なまでにエロい。ちょっとおセンチな風景ショットを指してドキュメンタリー云々なんて言う向きもあるが、なんだかんだ最後はチンポの抜き差しで理解してしまえ、という男である。だから僕たちは登場する女たちの「リアルな」人生に思いを馳せつつ、そこでヌけばいいだけだ。

HMJMは現在、新作のリリースを凍結している。経営的な問題である。再開のメドは1年後くらいらしいが、それもはっきりしたものではない。本来ならこの原稿もそのこと(経営的な問題)をもっとフィーチャーすべきなのだろうが、あえてその必要はないと考えた。そもそもが個人製作集団である。各監督とも他社からでも作品をリリースしてくだろうし(すでにその方向で動いている)、なにより現在リリース済みの作品7本は、HMJMのサイトにアクセスすれば、いつだって手に入れることができるのだから。

(初出:『ウラBUBKA』2005年6月号)