2006/06/29

べつの「ふれる」が生まれる

ここ最近、会うひとごとにその素晴らしさを伝えていた宮沢章夫proposed「何周も自己紹介する」が、やっぱり素晴らしい。
いつかここにも書こうと思ってたのだけど、そうこうしてるうちに宮沢さんの日記(Jun.23)に「『何周も自己紹介をする』を実践し、盛り上がったということをブログに書いている方たちが何人かいるという話」を見つけてしまい、しまった、出遅れた、と。
とはいえ、よいものはよいので、後出しジャンケンのそしりを受けようとも書いておこうと思う次第。

Engekihad「何周も自己紹介する」というのは宮沢さんの『演劇は道具だ』という本に書かれている自己紹介のやり方で、ふつうは1回ですませちゃう自己紹介を、何周もくり返しながら行うというもの。
自己紹介って、だいたい1周目は名前とか職業とか役職とか、ようするに肩書き的な話に終始する(むろん、そのひとの「からだ」から分かることもいろいろある、と宮沢さんは書く)だろうけど、それが2週目になると、趣味とか家族構成とか、もう少し踏み込んで自分のことを話さないと間がもたなくなる。さらに周回を重ね、4周目くらいまでは「言葉として語るにあたいするその人の情報」が語られるけど、「いよいよ5週目になると、どうでもいい話までしなくてはならなくなる」。
周回を重ねれば重ねるほど、話から、具体的なことが消えてゆきます。 (中略) 少しむつかしい言い方をすれば、抽象化するということですが、「抽象化」とはここでは、「なにがなんだか、よくわからなくなってゆく」ということにほかなりません。しかし、言葉でしかコミュニケーションがとれない、現在の人間にとって、たしかに言葉を使っているのですから、わからないはずがない。だけど、わからなくなっている。とするなら、これは先に書いた、「大むかしにあったはずの、人とふれあうこと」にきわめて似てゆくことになります。
(宮沢章夫 『演劇は道具だ』)
すごい。ふだんから「対話よりもおしゃべりを(それもできるだけだらだらしたやつを)」を旨とするオシャベリストの自分としては、もううなずきすぎてヘッドバンギング状態なのです。
ちょっと違うかもしんないけど、テレビ見ながらのどーでもいい話だとか、ドライブしながらのだらだらトークなんかもかなり好き。テレビのせいで親子のふれあいが減った、なんてぜったいウソ!って思うもんね。まあ、たしかに「対話」(1周目の自己紹介)は減ったかもしれんが、そこにはまたべつの「ふれる」があるんじゃねーのって。
なにを話せばいいか、もう、みんなわからなくなってゆく。どうでもいいことを話しだす。そのどうでもよさと、わからなさこそが、またべつの「ふれる」を生みだします。これはぜひ試してください。
(『同上』)