2006/05/09

マッスルハウス2

Musclehouse02というわけで昨日に続きマッスルハウス2についてなのだけど、とりあえず詳細はスポナビDDT観戦記をぜひ参考に。

マッスルは毎回、2部構成になってて、上のレポにもあるように、この日は前半がマンモス半田のドッキリ、後半が仮装大賞の得点マシンに挑戦といった構成。どちらも仕掛けとしての面白さもさることながら、しっかりプロレスというジャンルの批評になってるのが素晴らしい。批評、なんてゆった瞬間にこぼれ落ちてしまう楽しさを拾い集めながら。

酔っぱらい客を装った仕掛け人・五味のヤジ(「LLPW」コール)に一部の飲み込みの悪い観客が乗ってしまいかけたとき、どこからともなく沸き起こった「カエレ」コール。前半でもっとも背筋がゾクゾクした瞬間だった。あらかじめ観客は、五味が「酔っぱらった客」を演じることを知っている。LLPWコールをすることも。だから観客である我々も「プロレスの観客」を演じなければならないのである。演出家・鶴見亜門から与えられた指示は「西側の客はマンモスを応援、東側の客は仕掛人を応援、南側は空気読んで両方応援」というだけのもの。でもプロレスファンにとって、見当ちがいな行為で試合をぶちこわす輩に対するスマートな対応が「カエレ」コールであることは、TPG(たけしプロレス軍団)のいにしえより論を待たない。それまでもドッキリ仕掛け人として「らしい」声援を送っていた観客1100人だけど、あの「カエレ」コールで完全にノッた。プロレスの勝敗は決まっている。そんなこたァ知っている。でもこのドッキリはガチなのだ。グレーな部分も残しつつ、たぶん、きっと、かぎりなく、ガチなのだ。しかも、そのガチの勝敗が「観客」である我々の手にも一部ゆだねられているというスリリング! こんなに強度のあるプロレス観戦体験、いまどきなかなか味わえるものじゃないだろう。

後半の、意志を持ってしまった仮装大賞得点機との闘いもすごかった。いわば観客満足度システムの可視化。高得点を獲得するためにリング上のレスラー達は敵・味方関係なく話合いながら高度な技の攻防を繰り出し得点機に挑むようになる。もちろんマッスル坂井が得意技・マッスルロックを繰り出すたびに1点づつ減点、みたいな小ネタもしっかり織り交ぜながら。そして、そんなクスグリに笑いつつ再確認させられてしまうのだ。そう、プロレスとは対戦相手同士が協力しあいながら紡ぎあげる「格闘芸術」にほかならないと。だから我々は、パワーボムでウンコを漏らした(コアなプロレスファンなら田●選手のことを想起したかもしれない)メガネがバルコニーからダイブ(もちろんスローモーション&BGMつき)するのを目の当たりにしながら、まさに一つの「格闘芸術作品」完成の瞬間に立ち会い、その「底が丸見えの底なし沼」の途方もなさに惚けた表情で歓喜の声をあげるしかないのだ。なんて気持ちがいいんだろう。

前半と後半のあいだに組まれたアントーニオ本多とディック東郷(フランチェスコ・トーゴー名義)の試合もよかった。感動するあまりその後の段取りを忘れてしまったマッスル坂井に、「たしかお前はいまの試合に感動して、なにか決意するんじゃなかったか?」とフォローする鶴見亜門も含めて最高だった。アントーニオ本多から大スター・東郷さんへの手紙。そこに綴られた、しがない劇団員でしかない自分をプロレスラーだと認めてくれ、いつも稽古をつけてくれる東郷さんへのあふれる想い。それはマッスルのプロレスに対する愛でもある。その愛があるからこそ、たとえば一流レスラーである東郷もサスケもマッスルのリングに上がることに躊躇がない。

マッスル坂井は「人生、どこまでいってもロープに囲まれている」と言う。釈迦の掌で踊る孫悟空のように、どこまでいってもそこはリングだと。だからマッスルについて考えるとき、すでに仏となった偉大な16文の言葉を思い出すのもいいかもしれない。それはこんな言葉だ――「リング上で起こったことは、すべてプロレスである」。