2006/01/29

響鬼を台無しにしたもの

格別いそがしいわけではないんだけど新しいチャレンジングが多くて気ぜわしい日々。

hibiki気づいたら『仮面ライダー響鬼』が最終回だった。といっても自分の中では29話「輝く少年」こそが真の最終回であり、それ以降プロデューサーと脚本家が代わってからの16話はまったく見ていなかったので特に感慨はなし。ただ、いまさら作家性と商業主義の対立なんて図式を持ち出すほどナイーブではなく、作家性があってもつまらないものはつまらないし商業的であっても面白いものは面白い、その逆もまたしかり、ようするにその二つを分けること自体それほど意味がないってことは十分わかっているつもりだが、それにしてもここまで明快に作家性が商業主義によって捻りつぶされる例を見せらた日には、「ああ、ある、ある、ある」て既視感すら漂うよ。オモチャ会社も株価―それも今日明日の短いスパンの―を逐一気にしなきゃなんない世の中っていうのはそれほどまでに余裕がないってことだろう。

やっぱここに戻ってくるしかないのかと、それにしても貨幣て何なんだろう。マルクスは価値形態論で自家中毒寸前までいきながらギリギリ金を掘る抗夫の汗がなんちゃらってゆうかなり苦しい言い訳でもって労働価値説に踏みとどまったわけだけど、最近じゃそのへんの主婦や青年ですらパソコン一つで空売りとか駆使して儲けてるっていうじゃないか。だってあれってちょっと前までNASAで宇宙開発に関わってたようなとんでもないIQの連中が仕事にあぶれたもんでウォールストリートに流れて複雑怪奇な計算式で編み出した錬金術でしょ。南米あたりでわざと通貨危機仕掛けてボロ儲けみたいな。それをいまやこんなおばちゃんまでが空売り専門とかいって大手をふってる。それ相応にリスクもあるんだろうが、このおばちゃんやデイトレーダーの連中が俺たちだって額に汗してるってそんなの認めないよ。いや別に額に汗すりゃいいってことが言いたいわけじゃない。ただもともと資本主義ってそういうもんでしょ、というのは違うだろうと。やはり資本主義てのはどこまでいっても「売らんかな(pressure to sell)」で、我々がそれを「買わされて」、買うためにこの身一つを「売らされる」ていう過酷なシステムのことを言うのであって、おばちゃんやデイトレーダーやウォールストリートのヘッジファンドの連中がやってるのはただの錬金術、ゆってみりゃ魔術や詐術の一種でしかない。……と言い切りたいのだけどできないこのもどかしさ。ホント貨幣って何なんだ。いまだによくわからんよ。