2005/05/27

『元アイドル!』 吉田豪

motoidol

吉田豪の新刊インタビュー本『元アイドル!』、これすなわち強烈! 元アイドルたちが自分の少女時代から全盛期、現在に至るまでを振り返るんだけど、華やかな話なんてほとんどなく、出てくるのはひたすら精神的にダウナーだった話やダークサイド芸能界な話ばかり。「人間不信で自律神経失調症に」とか、「ファンレター開けたら猫の死体が」とか、「賞レースは事務所の力次第」とか。そのあまりの過酷さに、ひとり分読み終えるごとに思わず「生きててよかった!」と声をかけたくなってしまうくらい。モー娘。(古いか?)みたいにプロモーションそのものがネタになってしまうご時世、アイドルの売られ方にウラがあることくらい大抵のひとは了解ずみだろう。ただ、ここに書かれてることはきっとその想像をはるかに上回るはず。とくにカネのことは「月収7万」とか「衣裳代は自腹」とか信じられないような話がたっぷり出てくるから。

個人的には元少女隊・安原麗子の、
吉田 それだけ追い込まれてたはずなのに、Vシネマでもヌードが続きますよね。
安原 だって、私が嫌がるとスタッフとか困るじゃないですか。みんな寝てないし、「君が『はい』って言わないと、俺はどうすりゃいいんだ」みたいなことをぶつけられるから(笑)。すごい怖かったですよね。もし私がこのまま消えちゃったら家族になんかあるんじゃないかとか、そういうことをどんどん考えちゃうから、やらざるを得なくて。
とか
吉田 そもそも脱いだとき、親御さんの反応はどうだったんですか?
安原 親は、私がおかしくなっちゃってるのかと思ってたみたいです。……だから大変でしたよ。安原っていうのも本名ですから実家にも迷惑掛けましたし。それで余計、帰るところがなくなったんです。「いっそ辞めてどっかに逃げよう」とか思っても実家には帰れない。それに当時はまだ1人で歩いてるとワーワー言われる頃だったから、休みの日には遮光カーテンで家の中に閉じこもるような感じで(笑)。
という箇所を読んで、ケーブルTVでやってた『新・うれしはずかし物語』を録画してオカズにするだけならまだしも、わざわざ濡れ場を抜き出してズリネタ用テープにダビってまでいた我が身を恥じた。とまあ、そんなズリネタカミングアウトはどうでもいいとしても、そういった風にぼくぐらいから上の世代にとってはメモリアルな元アイドルたちが大勢登場するので、当時の記憶とつきあわせてみるとこれまた味わい深いものがある。

それにしても、よくもまあこれだけヘヴィな話を次々引き出すこと! 吉田豪インタビューといえば、膨大なタレント本蔵書をベースにした徹底調査と相手の懐に入り込みながら同時に取り込まれもしない絶妙の間合い、それから「ダハハハ!」に代表される天才的なまでのバンプのうまさってことになるんだろうけど、この『元アイドル!』の踏み込み方にはプラスαの執念のようなものが感じられる。実は、その理由については「あとがき」まで読めばわかる仕掛けになってて――
 さて、このインタビューではそうやって事前にダメ出しされたことを除いて、こっちが勝手に自粛することなく相手が話しづらい部分にどれだけ踏み込んでいけるのかをテーマにしてみた。(中略)単なる「バカ話」や「感動話」に持っていくこともなく、何が原因で一時は精神的に壊れて、それをどうやって克服したのかを必ず聞くようにしてみたのである。
 なんでそんなことをするのかといえば、答えは簡単。ギリギリで踏み止まった側の意見が、どうしても聞きたかっただけのことだ。

とのこと。そしてこのあと、どうして「ギリギリで踏み止まった側の意見」が「聞きたかった」のか、についても明かされるワケなんだけど、それは書くのも野暮なんで興味があったら手にとって確認してみてちょ。

YO LA TENGOライブ

ヨ・ラ・テンゴ、水曜の追加公演いってきた。いいライブだったけどフィードバック音に乗って幾度となく睡魔が。早朝から上野に駆りだされて仕事してたせい。

あと恵比寿にできた新しいリキッドルームはまだ二回しか行ってないが、きっと後ろの方で観るのが吉なんだと思った。

2005/05/23

『太古、ブスは女神だった』 大塚ひかり

taikobusu

ワケあって美醜絡み、というかずばり「ブス」について書かれた本を大量に読んだ。その中で一番おもしろく読んだのがこの『太古、ブスは女神だった』。これ名著でしょ。ブスの歴史的考察という性格もあってか、他のあまたのブス本にあるような「アリバイ的自分語り」が控えめなのがよかった。もちろん最後には切実な心情が吐露されてもいるんだけど。

それにしても平安時代はすごいよ。ブスやブ男を差別しちゃマズイってのは基本的に儒教が入って以降の考え方であって、美貌至上主義と仏教思想が結びついてた平安貴族にとって「醜く生まれつくのは、前世の悪業ゆえ」だったっていうんだもん。「醜=悪」だからね。『落窪物語』にでてくる“面白の駒”ってエピソードがすごいんだまた。
 ヒロインの夫は、ヒロインをいじめた継母の実の娘と、彼を結婚させて、継母へ仕返しをする。それがなぜ仕返しになるかというと、彼は治部卿の次男という高貴な身分だが、「顔色は雪の白さにて、首いと長うて、顔つきただ駒のやうに、鼻のいららぎたる(ふくらんでいる)事かぎりなし」という異形の男。しかも「しれもの」(バカ者)で、貴族仲間にも侮られているからだ。
 彼が娘に通いはじめて三日目、披露宴の席でその正体がばれると、娘は当然のように泣き沈み、継母達は、彼に食事もやらぬなどのあからさまなイヤがらせをする。ヒロインの夫は最終的に、仕返しの埋め合わせとして、彼の代わりに、立派な男を彼女にあてがうのだが、面白の駒はただ娘に捨てられておしまいだ。「顔がみっともなく、鼻の穴から人が通れるくらい」とか「鼻の穴の大きいことといったら、左右の穴に一対の寝殿が建つくらい」などと、物語では終始、愚弄されて終わりである。
ここまでブ男を仮借なく貶めてるのもなかなかないよ。しかもあだ名が「面白の駒」て!
いくらなんでもあんまりだよ。

これが武士の時代になるとちょっと変化があって、たとえば『男衾三郎絵詞』のなかには、
三郎は女子供にいたるまで乗馬や武芸を習わせ、
「武士が美しい妻を持つと短命になるのだ。関東八か国のなかで、とびきりの見た目悪を妻にしたい」と願って、東国一のブスと結婚する。
なんていう『ブスの瞳に恋してる』(この本も最高!)みたいな話が出てくる。さすがはもののふというか、すげえ美学だな。

2005/05/19

『顔の美醜について』 テッド・チャン

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テッド・チャン 『あなたの人生の物語』収録の小説。美醜失認処置、通称“カリー”という手法が実用化した近未来の話。カリーとは、
統覚的失認というよりも、連想的失認と呼ばれるものに近い。つまり、この処置は、個人の視覚に干渉するわけではなく、自分の目で見たものを認識する能力に干渉する。美醜失認処置(カリーアグノシア)を受けた人間は、人びとの顔を完全に認識することができる。とがったあごと後退したあご、まっすぐな鼻と曲がった鼻、なめらかな肌と吹き出物のある肌の差異を見分けることができる。ただ、それらの差異について、なんの審美的反応も経験しないだけである。
――ようするに顔の個体識別はできるけど「ブス」とか「美人」という価値判断はできなくなる手術のようなものが“カリー”。
こいつは深刻な社会問題ともいえるルッキズム、すなわち容貌差別をなくすことができる素晴らしいものだってことで学生たちによる“カリー”導入運動が起こった大学を舞台に、関係者たちへのインタビューという体裁で構成されたこの作品。化粧品会社が倫理団体を装って反対CMを流したり、周りに“カリー“を受けたやつがいたら美人だというふれこみですげえブスを紹介してやるぜなんて暴言を吐くヤジ馬なんかが次々に登場して語る語る。主人公の女の子は思春期の頃から“カリー”をつけて育ってて(そういう実験校に通っていた)、せっかく大学入ったらはずそうと思ってたのに“カリー”推進運動なんて「きいてないよ!」状態。おもいきってはずしてみちゃったり。
結局、学生投票の末、“カリー”導入のための美醜失認議案は却下されるんだけど、実は前日に反対派がおこない議案却下に一役買ったとされるスピーチには、声の抑揚や顔の表情、ボディランゲージなどを魅力的にみせ、視聴者の感情的反応を最大化するためのデジタル処置が施されてたっていうオチ。

形式的に客観レポートを装っているので著者テッド・チャンの考えは読み取りにくいんだけど、巻末の作品覚え書きで書いてる――
なぜ人は、美しいことの重荷という考えに、たとえば、そうだな、富めることの重荷という考えよりも共感を寄せるのだろうか? それは、美しいことがまたしてもその魔法をふるうからである――すなわち、短所を話しているときでも、美しいことは、その美しさをもっている人間に利点をもたらすのである。
はどうなんだろ? だって富めることの重荷にそれほど共感できないのは「裏でなんかやってそう」とか「腹黒そう」ていう偏見があったりするから(むちゃくちゃカッコ悪いけどな)で、それにくらべ美人てのは生まれつき避けられない運命のようなもんだと(一般には)考えられてるからじゃないのか。

関係ないけど「富めること」に対する理不尽なまでの不信感といえば、『孔子の哲学』の中で石川忠司さんが「日本人の美点のひとつ」として挙げていて、その話が興味深かった。
ぼくたちは、たとえどんな合法的手段を行使し、自らの才覚・才能をフル回転させて得た正当きわまる結果にしろ、ひとりの個人が莫大な財産を築くことにかんし、もうどうしようもない不信感、字義どおり「共産主義的」とすら言っていいスジの通った不信感を持っている。ぼくが働いている映画館のバイト仲間のマサキ君は、宇多田ヒカルが子宮を患って手術したと告げる「日刊ゲンダイ」の記事を読んだあと、しみじみとした口調でこう言ったものだ。――「カネ、儲けすぎっスよねえ……」

2005/05/15

『タカダワタル的』

watarutekiバウスシアターにて『タカダワタル的』、最終日すべり込み鑑賞。連日超満員、レイトショーでこんなに入ったのは例にないことだそうで、支配人も登場してごあいさつ。
「映画をご覧になったあといせやさんに流れる方も多いようで、あちらの方も大変にぎわってるそうで――」
たしかにいせやに行きたくなるんだこれが。きっと混んでるだろうから牛角食堂でがまんしたけど。パンフレットの中で鶴瓶が「志ん生のこんなんあったら良かったなあ」てゆってるとおり、高田渡のこんな映像が残ってよかった。

BURST』が今月で休刊。最近はどこに行ってもしぶい話ばかりだが、とりあえず前を見据えていくしかない。もっともっと腕を上げていくしかない。

2005/05/09

さかなライブ

昨夜はさかなのワンマンライブ@吉祥寺マンダラ2。毎回、長蛇&超満員の奴隷船状態だったマンダラ2ライブだけど、今回からは100人限定(英断!)ということで開演ギリギリに行ってもちゃんとステージが見えるポジション。ただいつもに比べてちょっと入り込みにくい演奏だったかも。前回観たLeteでのライブがあまりに良すぎたってのもあるかなあ。ポコペンさんがベースで西脇さんがクラシックギターという新編成を試したり、ボッサ風アレンジの曲が増えたり、サウンドが変わってゆくような兆しもあり。あとポコペンさんお腹のところにクッションのようなものを当ててた(そのせいで若干ギターが弾きにくそうな)気がしたけど、もしかして妊娠かな??

db42その後、必要に迫られマンガ喫茶で『ドラゴンボール』全42巻一気読み。DBオールナイト。かつてベジータ編まではジャンプの連載で、人造人間編以降はアニメでチェックしてて、ようするにフリーザ編だけ完全にスルーしちゃってたんだけど、なんだよあすこが一番面白いとこじゃん。アブねー、読み直してよかったよ。

2005/05/04

吉祥寺音楽祭

kichion05貸してもらった『仮面ライダー響鬼』14話分を朝から一気見。龍騎や555にあった薄暗さ(画面も暗かった)もなくって、これはもう大きなお友達でないカタギの大人でも楽しめるエンターテイメント。発砲・B・ZINの人がメインシナリオライターって、そういう時代だよ。ヒーローの一般市民的苦悩なんてデフォルトだもん。

夕方、吉祥寺音楽祭へ。西日差す中、アイランド風ラグタイム・ギターをきめる中川イサトさん。言うまでもなく高田渡翁の盟友。ホントなら渡さんもここにいるはずだった。パスカルズの石川さん(ex.たま)は、「渡さんに言われたので」、もっともっとバカになると宣言。ステージ上で着替えたり、サルのぬいぐるみをぶん回したりと大暴れ。楽しかった。

dokutuya 音楽祭終了後いったん家に戻り、宅急便受け取り。ついにHDD&DVDレコーダー降臨!! が、とりあえずそのまま玄関に放置し、今度はFourth Floorのイベントへ。ノイズをアカペラで(!)っていうノイズ合唱団がまったくもってツメ甘過ぎだったけど、その八方破れさ具合には感じるものがあったような。2時間くらいいてノイズとヒップホップを行き来しているうちに眠くなってきてしまったので、クドカン御用達の洞くつ家(武蔵家よりちょいライト)でラーメン食って帰宅。

HD/DVDレコーダー、記念すべき初録画は『ヘビメタさん』。

2005/05/01

ヨーロッパ企画 「平凡なウェーイ]

GDP、ずっと消費税3%で計算してた」って、とんだうっかりさんだなおい。でもなんかもう日本はこの路線でいいんじゃないかって気もするよ。停車駅100メートル行き過ぎちゃうとか。そういえば総理の息子・孝太郎なんて、こないだのヘキサゴンで正解が「ジャクソン5」のところを「サノバビッチ」って答えてたからね。軽く人の名前かなんかだと思ってたからね。

ヨーロッパ企画「平凡なウェーイ」観てきました。こち亀みたいなセットで繰り広げられる桃唄309みたいな芝居。いい意味でずっこけました。幅広い層にアピールするんじゃないでしょうか。過去公演の映画化も納得。