2005/11/14

目的地

先週は誕生日があった。まだまだ30じゃなかった。けっこう長いぞ20代。水曜日、飲みのついでに祝ってもらったけど、ものの「ついで」というのも考えものだと思った。

木曜日、アゴラ劇場でチェルフィッチュ「目的地」。猫とかニュータウンとか意匠が重層的になり、若者の生態という枠を越え確実に進化していた。ゲスト・平田オリザのアフタートークも期待通りのおもしろさ。

平田オリザがアフォーダンス(認知心理学)の研究者と共同で進めてるというプロジェクトがすごい。役者はある一定のインプットを記憶することで、常に一定のパフォーマンスを維持することができる。でもってある役者の動きがリアルに見えるかどうかはそのときの役者の感情なんてのにはまったく関係なく、視線の動きであったり身体的なレスポンスの方に依ってくる。だから、そのような反応(アウトプット)を引き出すために与えるべきインプットを制御(たとえば机の上の小物を見る順番を限定するとか)すれば誰でもリアルな演技ができることになる、と。なにがすごいって、そういうの突き詰めていくと最終的には役者の感情表現の訓練みたいな従来の演劇レッスンがほとんど無意味になってしまうという。

あの手この手で役者の意識分散をはかってきた平田オリザだけにこの方向性はかなり納得できる。そしてそれは、いうまでもなく感情やテーマを描くのを排することを意味しない。

そういや件の誕生日飲みの席で『ガラスの仮面』の話になったんだけど、北島マヤの役柄に没入してしまうトランス状態のような演技を名演技といわれてももはや説得力に欠けるもんな。幸福な時代の産物というか。といっても『ガラスの仮面』はまだ続いているわけで、この先、劇団つきかげが青年団化する可能性もゼロではない。「好き」ってセリフを感情たっぷりに言おうとするマヤに、「そうじゃなくて昨日の夕飯を思い出しながら『好き』って言ってみな」と平田オリザばりの意識分散を迫る月影先生。想像するだけでワクワク……しないか。

「目的地」の舞台設定が港北ニュータウンだった。ちょうど20歳のころ住んでいたのが田園都市線のあざみ野。劇中にも登場する市営地下鉄に乗って大学に通っていたので「セン北(センター北)」や「セン南」といった呼び名が懐かしかった。いわゆる「少年の荒涼とした心が」とかいわれちゃうようなニュータウンとも違ってたあのヘンテコな感じ。やはりあの地区にゆかりの深い(レペゼン?)mikaihooくんにも見せてあげたかった。

watashuwo金曜日、ポレポレ坐で「私をみつめて」。同世代の人が作ったものの中では久々にすごいドキュメンタリーを観た。被写体に「私とセックスして! じゃなきゃ撮影中止や!」と言われて「じゃやめます」と即答するシーンが最高。セルフくささや文学趣味もまったくなし。そのつど体重の推移を示す数字と状況説明のテロップだけ。三脚撮影が多いカメラアイもとことん即物的。だけどそれは平田オリザのところで述べたのと同じで感情やテーマを描くことを排するものではない。いやーこの監督、かなり図太い人物なんじゃないだろうか。