2005/08/05

『頓智』と『紙プロ』

ここんとこ時間の感覚が妙で、10代の頃とか学生の頃のこととか頻繁にフラッシュバックする。なんでだろう『ヘビメタさん』のせいか? あと昔の雑誌を読み返すのなんかもおもしろく、いまだ捨てずにとってある『頓智』とか『(小さかった頃の)紙のプロレス』を隅々まで眺めたりしてる。仲俣暁生さんが日記で「雑誌というものは出てすぐ読んでもダメで、数年から十数年寝かしてようやく味が出てくる、そういうメディアになりつつある」って書いてたけど、そういうことなのかもしれない。ここにきて『頓智』も『(小さかった頃の)紙プロ』もかなりいい旨みが出てきてると思う。

それで『ユリイカ』が雑誌特集だというのでパラパラめくってみたんだけど、やはりというか自分がかつて偏愛した『頓智』や『(小さかった頃の)紙プロ』や『ビデオボーイ』のことは載ってなくてガッカリしたり(わずかに仲俣さんの原稿に「筑摩書房で『頓知』という不思議な雑誌を試みていた松田哲夫さん」という一文を見つけた)。まあそもそもそういう期待自体がまちがってるわけで、そんなボクの個人史知ったこっちゃないわけで。

ただ、『頓智』も『(小さかった頃の)紙プロ』ももっと振り返られていいというか、ネットとかで言及されてもよさそうなものなのにほとんど見かけることがなくって(『(小さかった頃の)紙プロ』なんて菊地成孔が「これは『カイエ・デュ・シネマ』ではないかとずっと思っていた」とまで書いてる雑誌なんだから、菊地信者はいまからバックナンバー全部そろえろー!)。でもなんとなくその理由はわかるような気もする。『頓智』も『(小さかった頃の)紙プロ』ももろ90年代雑誌なんだけど、その根底にあるのは80年代的知性というか、たとえばイトイさんだったり椎名誠であったり物事について難解な用語を使わず身の丈にあった言葉で思考していく類の知性のあり方で、そういうのはまちがっても「90sノットデッド」だとか「オタク/サブカル」的な切り口にはひっかからないからだろう。だけど同時に『頓智』にも『(小さかった頃の)紙プロ』にも90年代が強烈に刻印されてるわけで、どちらもシステムやらココロやらがどんどんこじれていくにつれそれを説明する言説やウンチクもどんどん難解になっていくという時代に、すごく「わかる言葉で考えること」をエンターテインしてくれた雑誌だった。

いつか誰かが『頓智』か『(小さかった頃の)紙プロ』の目録やら何やらをネット上にアーカイブ化してくれるだろうと待ってたんだけど、どうやら誰もやってくれそうにないので自分でやれる範囲でちょっとづつやってこうと思ってる。