2005/08/03

立川談志独演会

今年の談志初め@カメリアホール。実は今年に入ってから二回もチケットとっておきながら二回とも行けない(一回は自分の映画の上映で、もう一回は例のDJイベントで)ってことがあって歯ぎしりしてたんだけど、なんと片方のチケットをmixi経由でお譲りしたKさんという方が、今回の独演会と月末の一門会のチケットをとってくれてもうなんと感謝していいやら。しかもこのKさん、むかし競輪記者時代に友川かずきと知り合いだったり、むちゃくちゃ音楽の趣味が似てたり、極度のサッカーきちがいだったりととにかくナイスな方で、もうこれからはKさんと一蓮托生で家元を追っかけていこうと決めた所存。

家元、この日の演目は「浮世床」と「つるつる」。「浮世床」はイリュージョンなんてもんじゃなく完全にぶっ壊れてみせるアドリブ芸で、もう70になろうって芸人であそこまでレイザーズエッジ渡ってみせる人もいないよ。「つるつる」もラストで一八に救済の道を示す談志流のサゲは変わらずながら、ところどころ破綻への志向が見え隠れ。一八が必死に幇間やってる姿に爆笑しながらも、なぜか泣けてきてしまった。あまりの壮絶さに。

立川談志という人は、ある時期(おそらく「イリュージョン」を言い始めたあたり)から古典のスタンダードな語り口に対し抱いている「破壊し飛躍する力」と「ねじ伏せ構築に向かう力」という分裂した指向性を自覚的に打っ放し、その両者に綱引きをさせることですさまじいテンションを手にし、しかもそのテンションを微妙な案配でもって自在にコントロールできるというとんでもない領域に突入していった。でもってそのテンションがピークに達した地点というのが自身も認めているとおり昨年演った「居残り佐平次」(生で観たっていうKさんがうらやましすぎる)ということになるんだろう。では現在は? というとこれが体力的な必然としてテンションの均衡は崩れ始め、破壊していく力の方が勝ってきちゃってる。でもねふつうは逆なんだよ! ふつうは「様式」だとか「枯れ」だとかといって構築のほうが勝ってくもんでしょう。なのにこの人はまだまだぶっ壊してその破綻をもみせてやろうっていうだもん。その先にある誰も見たことがない凄いものを見せてやろうって。

「いいなあ君たちは談志の晩年が見られて」と色川武大が亡くなる間際につぶやいたという有名な話、ついにそのときがきてる。もちろんできるかぎり長生きしてほしいけれども。Kさんとも話したことだけど、これはもう落語と呼んでいいのか、それともこれこそが落語なのか(例えば保坂和志にとっての「小説」のような)わからないが、いま立川談志が高座で見せているものってたぶん一般に落語と呼ばれてるものとは全然別のもので、あえていうなら「ドキュメンタリー」(もしくは「全身落語家」)と呼ぶのが相応しく思えてくる。昭和は遠くなりにけり。たぶん芸人であることをここまで極限のドキュメンタリーとしてさらけ出せるのはもうこの人ぐらいで、あとは可能性として松本人志がいるぐらいじゃないか(映画監督とか始めたりしなければ)。ともあれ、これから談志は観られる限りすべて観ていこう。