2005/07/28

ゴルドーがいた

psyacolo
ジェラルド・ゴルドーのことを忘れていたなんて、なんと愚かなことなんだろうか。
(菊地成孔『サイコロジカル・ボディ・ブルース解凍』)

しつこいようだけど「極道」と「競技者」の話。そうだよ極道ならぬゴルドーがいたじゃないか。さすが菊地成孔、自称ヘルマン・レンティンギストにしてギルバート・アイブリスト!

菊地はいう、「ゴルドーかブロディがいる世界だけがリアルな世界なのだ」と。プロレスに格闘技、それに野球や競輪や将棋の世界にも「ブロディやゴルドーは必ずいる」。だけどシューティングには「ゴルドーもブロディもいない」、Jリーグにも「絶対ゴルドーはいない」。理由は簡単だ。シューティングもJリーグもそこには「競技者」しかいないのだから。

ただこのゴルドー、殺るときは殺るみたいな、煎じ詰めれば極限化したアマチュアリズムでしかない軍隊イズムや己の誇り(自己満足)のために捨て石になる鉄砲玉とも違う。菊地のいうとおり「ドールマンのような『怖くて強いが優しい善人』か、ボックのような『金と権力を持った残忍な変質者』のどっちか」でもない。そのどれでもないゴルドーは、「『傭兵』という、個人主義と軍隊の混合イズムの具現のようにして、まさにオランダそのものだ」と分析してみせる菊地の手つきのじつに鮮やかなこと! うーんエレガント。
日本人の胃弱な消化能力の前にゴルドーは立ちはだかっている。善悪と敵味方、信頼と不安、プライドと報酬、殺害と防衛。(略)ゴルドーはオーちゃんが新日本プロレスに単身喧嘩を売りに行くときに、用心棒として傍らについていた、ゴルドーは浅草キッドとバラエティーに出た、ゴルドーは中井の目を(完全に意図的に)指で失明させ、選手生命を奪った、ゴルドーは猪木に友情を感じている、ゴルドーは倒れている相手の顔を何の躊躇もなく蹴る、ゴルドーは金のためにテキトウなパンチも出す、ゴルドーはいじめられっ子に復讐の方法を教え、社会復帰させている、ゴルドーは戦う前からどちらが強いかわかっている、ゴルドーはブラインドを突いて相手の耳や肩を平気で噛みちぎる、それを指摘されるとギャグを言ってごまかそうとする、ゴルドーは演技が大根なのに芝居がかるのが好きだ。ゴルドーの全身の入れ墨、ゴルドーのネズミと大泉滉に似た残忍そうで間が抜けた顔。まだまだジェラルド・ゴルドーは日本人には難しすぎる。